SNSでは、各自が「あの日」を振り返ったり、それぞれ震災が起きた日とその後に思いを持つ日です。
ただ、私は、当日電車の中にいて、そんなに大きな揺れだとは思わず、
家族と離ればなれになるようなこともなく、ケアをしなければならない子供もおらず、
地震後にも、輪番停電もまわってこなかったし、通勤で困ることもなかったし、
3月11日が「私にとって」特別な日として記憶に残っていないのです。
当日のことは、この記事に書いてあります。
もちろん、そのとき何していたかはよく覚えていますが、
それとて、地震の後はしばらくは、人と会えば「あのとき何していました?」と尋ね合うのが習慣になっていて、記憶がしっかり定着したからであって、それがなければ忘れてしまったのではないかとも思います。
2011年に「私にとって」特別な出来事なら、
突発性難聴にかかって大変だったこと(この辺りに書いています)や、
暮れに幼なじみの友人が亡くなったことです。
そして、その後、2012年の終わり頃には、また別の病気をして、そのまま現在に至り、
ここ日頃、私の興味は、だいたい自分の体調にばかり向いています。
というわけで前置きが長くなったけれど、
こうして多くの人々が、大きな災害にそれぞれ思いを馳せている日でも、
私の興味はつねに自分の体調のことにしか向きません。
3月11日は、
そのちまちました自分、
つねに「私」のことばかりに忙しく、他のことに思いを向ける余裕がないでくの坊ぶりが、
情けなくなる日と、なっているように思います。
そんな「私」にばかり忙しい私が、自分のblogを読み返して思うこと。
上にリンクを貼った「3月11日の私」という記事の中で、私は、
「どうか、一刻も早く平穏な毎日を迎えられますように。」と被害に遭った方に向けて書いています。
いろいろなことが混乱していたあの頃には、一刻も早く平穏が訪れることは大切だったでしょう。
しかし、3年が経って平穏が意味するものとは、
急性期の復興が進んで頭打ちになり、望む復興にまでたどりつかないうちに、
じぐじぐと前にも後ろにも進まない慢性的な厄難安定状態とはなっていないでしょうか。
混乱して次々と降りかかる難を逃れ、何とかやっていくのに精一杯なときには、むしろ、
「ここを乗り越えられたら」と、その先を想像することができます。
しかし、何とかなりつつも決してうまくいっているわけではない状態が安定して長く続いていると、
「いつか今を振り返ったとき、そんな時期もあったねえと話せる」ことが想像できない、
永遠にじわじわと沈み続ける、底なし沼の厄難に思えます。
3年が経過した今(それは1年でも2年でも同じだとは思いますが)、
平穏に安定した厄難が永遠に続くのではなく、「何かが変わる」と信じられますようにと私は祈っています。