雨の日は音数(おとかず)が増える。
なんのこっちゃいとお思いでしょうが、
雨の日、というより、雨が降りそうなとき、の方が近いかなあ。
ふだんは聞こえないちょっと遠くの電車の音やアナウンスが聞こえたりしませんか。
たぶん気圧の関係で、音の伝わり方が変わって、
少し遠くの音が伝わりやすくなるんだと思うのですが、
専門的なことはよく知らないし、今は調べるのもめんどい。
雨の日はそんなわけで、聞こえてくる音がいつもよりちょっと増える気がするんです。
雨が降ってしまうと雨音がするから、それでかき消されてしまうところもありますけれど。
少し前にここに載せた突発性難聴の話の中で、
治りかけの頃からはじまった「リクルートメント現象」のことを書きました。
弱っている周波数の音が聞こえた場合にやたら大きく感じてしまう症状です。
かなりよくなってきて、たとえば、以前に書いた、レジ袋のガサガサ言う音は今では平気だし、
音をうるさく感じることがあっても、いちいちいろいろな音にびくっと驚くことはほとんどありません。
でもやっぱり音に過敏になっていること自体は続いていて、
今日のような雨の日には、1行目のように思うのです。
音の数が増える分、私の耳のなかで増幅される音も増える。
思いっきり直毛の私は、雨の日に髪がクルクルするなんて言う人が
ちょっとうらやましかったりするのですが、
「雨の日は音数が増えちゃって困るわ〜」なんて言ってみようかしら。
追伸
今残っている、二大「聞くと辛い音」
・食器のカチャカチャ言う音
・音楽
音楽って、それこそ「音数が多い」最たるものと改めて認識。
楽器1本のものなら比較的大丈夫だけれど、
大雑把に言って、音楽全般を聞くことのできない状態。
ということは、映画も観られない状態。
音楽の鳴らないものなら、大丈夫なんだけれど。
(でも銃撃戦やら効果音を増幅させてるようなのはいやかな)
そんなわけで、新しい映画レビューはもう少し先になりそうです。
ごめんなさいね。
2011年08月19日
2011年07月15日
突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 3
突発性難聴の話、3回目、今回で最終回です。(ちなみに、→1回目、→2回目)
さて、発症してから12日目くらい、閉塞感が和らいだかな、と思うときがありました。その翌日、聴力検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツのあたりがだいぶ盛り返していました。いちばん落ちている2000ヘルツはまだ落ちたままでしたが、閉塞感はより低い方の音に関係するせいだろうとドクター。
ここを境にぐーんと回復は進み、さらに3日後の検査では2000ヘルツもずいぶん聞こえるようになりました。音がキンキン響いてツラいのも、左右で音の高さが違うことも収束してきました。
その辺りからです。「世の中ってこんなにうるさかったっけ?」と感じるようになったのです。
世の中のBGMの音が大きい。お皿をガチャガチャする音が大きい。たまたま喫茶店で隣に座ったおばさまの実にどうでもよい会話が勝手に耳に入ってくるなんてうるさい。
「会話が耳に入ってうるさい」というのは、2週間以上、街で他人の会話がふいに耳に入ることが少ない状態に置かれていたら、どうもそれに慣れきっていたみたいなのです。
自分に関係のない話がしじゅう聞こえる状態というのは、どうもストレスのようです。だから、他人の会話が飛び込んでこない状態は、自分にとって都合がよくて、すっかりラクになっていたのでしょう。
街でふいに人の会話が飛び込んでくること、疲れるなあと思ったことはありませんか?
そしてまた3日経って検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツはまったく正常な状態、2000ヘルツが少し、4000ヘルツがほんの少し、聞こえが悪いけれど、それは「目標達成」の状態とのこと。無事「治った」わけです。
ただ、少しだけ聞こえの悪いこの周波数がくせ者。リクルートメント現象(聴覚補充現象)といって、聞こえの悪い音を聞き取った場合に、ものすごく大きな音に感じ、耳に刺激を感じてしまう症状があるそうです。
どうもわたしにはこの現象が起きるようで、レジ袋やプラスチックの容れ物ががしゃがしゃいう音、紙を破ったり新聞をめくったり真っ直ぐするためにぺりぺり言わす音、食器がぶつかる音などなどが、とても大きく聞こえます。世の中の音が大きいと感じたのは、このせいなのかもしれません。
カフェで隣の隣くらいでパンを袋から出す音が、すぐ耳元でカシャカシャやられたような気がしたり、図書館で新聞をめくる音に驚いたり。おおげさな演技のように、肩をふるわせて「びくっ」としちゃうんです。
家でもうるさい音は気になりますが、予想の範囲の音しか聞こえてこないので、そんなに困ることはありません。だけれど、外の世界はいろんな音に満ちていて、ふいに「びくっ」とさせられること多数。聞こえが悪くなっている2000ヘルツ〜4000ヘルツあたりの音が、「補充」されて不自然に大きく聞こえるようなのです。
わたしが敏感になるのは、そのうまく聞こえない周波数を含んだ音まわりのことだから、ずいぶん部分的な感じ方しかしていないのでしょう。
それでも世の中にこんなに音があふれていて、意外な物が意外に音を立てることに気づきました。新聞をめくるときにぺりぺり音が鳴ることなんて気に留めたこともありませんでしたからね。
病気はもうしたくないけれど、前回、前々回に書いた言葉の聞き取り方や左右での音の聞こえ方の違いを含めて、「世の中の音」を考える、いい機会になったなあ、なんて考えています。
ところで、今日現在はどうかというと、家にいる限りは、ほぼ不都合なく過ごせます。外に行くと、ふいに音にビクリとすること、「音がうるさい、聞くのが疲れる」と思うことがまだあります。
でも、2週間前より1週間前、1週間前より今日の方が、ラクにはなっているような気がします。
これを「後遺症」と呼んでしまうと果てなくついてまわりそうな気がするから、わたしは今もゆっくりと回復途中なのだ、と思うようにしています。
<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
さて、発症してから12日目くらい、閉塞感が和らいだかな、と思うときがありました。その翌日、聴力検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツのあたりがだいぶ盛り返していました。いちばん落ちている2000ヘルツはまだ落ちたままでしたが、閉塞感はより低い方の音に関係するせいだろうとドクター。
ここを境にぐーんと回復は進み、さらに3日後の検査では2000ヘルツもずいぶん聞こえるようになりました。音がキンキン響いてツラいのも、左右で音の高さが違うことも収束してきました。
その辺りからです。「世の中ってこんなにうるさかったっけ?」と感じるようになったのです。
世の中のBGMの音が大きい。お皿をガチャガチャする音が大きい。たまたま喫茶店で隣に座ったおばさまの実にどうでもよい会話が勝手に耳に入ってくるなんてうるさい。
「会話が耳に入ってうるさい」というのは、2週間以上、街で他人の会話がふいに耳に入ることが少ない状態に置かれていたら、どうもそれに慣れきっていたみたいなのです。
自分に関係のない話がしじゅう聞こえる状態というのは、どうもストレスのようです。だから、他人の会話が飛び込んでこない状態は、自分にとって都合がよくて、すっかりラクになっていたのでしょう。
街でふいに人の会話が飛び込んでくること、疲れるなあと思ったことはありませんか?
そしてまた3日経って検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツはまったく正常な状態、2000ヘルツが少し、4000ヘルツがほんの少し、聞こえが悪いけれど、それは「目標達成」の状態とのこと。無事「治った」わけです。
ただ、少しだけ聞こえの悪いこの周波数がくせ者。リクルートメント現象(聴覚補充現象)といって、聞こえの悪い音を聞き取った場合に、ものすごく大きな音に感じ、耳に刺激を感じてしまう症状があるそうです。
どうもわたしにはこの現象が起きるようで、レジ袋やプラスチックの容れ物ががしゃがしゃいう音、紙を破ったり新聞をめくったり真っ直ぐするためにぺりぺり言わす音、食器がぶつかる音などなどが、とても大きく聞こえます。世の中の音が大きいと感じたのは、このせいなのかもしれません。
カフェで隣の隣くらいでパンを袋から出す音が、すぐ耳元でカシャカシャやられたような気がしたり、図書館で新聞をめくる音に驚いたり。おおげさな演技のように、肩をふるわせて「びくっ」としちゃうんです。
家でもうるさい音は気になりますが、予想の範囲の音しか聞こえてこないので、そんなに困ることはありません。だけれど、外の世界はいろんな音に満ちていて、ふいに「びくっ」とさせられること多数。聞こえが悪くなっている2000ヘルツ〜4000ヘルツあたりの音が、「補充」されて不自然に大きく聞こえるようなのです。
わたしが敏感になるのは、そのうまく聞こえない周波数を含んだ音まわりのことだから、ずいぶん部分的な感じ方しかしていないのでしょう。
それでも世の中にこんなに音があふれていて、意外な物が意外に音を立てることに気づきました。新聞をめくるときにぺりぺり音が鳴ることなんて気に留めたこともありませんでしたからね。
病気はもうしたくないけれど、前回、前々回に書いた言葉の聞き取り方や左右での音の聞こえ方の違いを含めて、「世の中の音」を考える、いい機会になったなあ、なんて考えています。
ところで、今日現在はどうかというと、家にいる限りは、ほぼ不都合なく過ごせます。外に行くと、ふいに音にビクリとすること、「音がうるさい、聞くのが疲れる」と思うことがまだあります。
でも、2週間前より1週間前、1週間前より今日の方が、ラクにはなっているような気がします。
これを「後遺症」と呼んでしまうと果てなくついてまわりそうな気がするから、わたしは今もゆっくりと回復途中なのだ、と思うようにしています。
<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
2011年07月13日
突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 2
さて、前回から続いて突発性難聴の話です。
治療をはじめて10日くらいは、回復の気配がなく同じ症状であったことは書きました。
難聴というのは読んで字のごとく、聞こえが悪くなる病気。ただし聞こえづらいことは不便ですが、片耳はふつうに聞こえて、悪い方の耳もまったく聞こえないわけではありません。わたしにとって不快な症状というのは、聞こえないことそれ自体より、耳の中で音がキンキン響いたり、耳鳴りがうるさかったりすることでした。
たとえば、人の声や音楽が、反響するように耳の中で響く。テレビがついているとキンキンするし、お店に入ってかかっている音楽の音が大きいと耳に響きます。左耳と右耳で聞こえ方が違うせいか、人の話し声、特に女性の声は二重に聞こえたりします。
それと、自分で物を噛む音がかなりキンキン響きます。外の世界の音は工夫しだいで遮断できても、自分の中から出る音はどうやっても遮断できません。生きるって難しいもんです(笑)。
お漬け物なんてまったくだめでした。お漬け物がだめなことは、おそらく想像の範囲内だと思いますが、繊維をかみ切る音というのがかなり響いて、ブロッコリーなど繊維のしっかりした温野菜などが意外にもやっかいでした。勢いをころして、ウニョンウニョンとゆっくり噛むことを心がけていました。
住んでいるマンションのエレベーターが、閉まるときにポーンと音を出すのですが、この音が、左耳では0.2秒くらい遅れてちょっと高めの音で響きます。右耳と左耳で不協和音のように音がぶつかって気持ちが悪いんですね。
で、ふと思いついて、キーボードで音を鳴らしてみたら、右と左で音の高さが違います。
たとえば「ラ」(チューニングで440ヘルツなどに合わせるヤツ)、左耳だけで聞くと「シ♭」に近く聞こえます。もう1オクターブ高い「ラ」だとより高く、ほとんど「シ♭」くらいに聞こえます。
ただし、キーボードの音は、両耳で聞いてもエレベーターのように別々の音に聞こえるということはありませんでした。
なぜそうなるのか、きっと理屈で説明できる人はできるのでしょうが、わたしは「高さが違う」という感覚しかわかりません。人間の耳・音の感知って微妙なバランスで成り立っているものですね。
前回、人の話の聞き方を「少し知ってる外国語」に例えましたが、そんな体験、いくつもしました。
たとえば、夫の話の主語がどうしても聞き取れず、「なに? ハミガキ?」と聞き返していましたが、自民党の谷垣さんの話でした。
なんの脈絡もなく出された単語は理解するのに時間がかかります。政治の話をしているなら、政治ジャンルの中から「ハミガキ」に似た音のものを探してきっとたどりつくのですが、いきなり出されると難しいのです。
固有名詞というのは聞き取りが難しくて、その場にいる人の名前なら半分くらい聞き取れれば把握できるけれど、その場にいない人の名前は、無数の選択肢があるから生半可な聞き取り方では聞き取れないでしょう。
人間っておそらく、聞いたままをしっかり聞き取るのではなくて、話の流れからある程度予想しながら、人の話を聞いて自分の頭で話を組み立てているということでしょう。一字一句聞き取るのは、健康な人でもしんどいことですものね。
自分の不安定な聞き取りから、そんなことを考えました。
続きは次回……「回復編」
<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
治療をはじめて10日くらいは、回復の気配がなく同じ症状であったことは書きました。
難聴というのは読んで字のごとく、聞こえが悪くなる病気。ただし聞こえづらいことは不便ですが、片耳はふつうに聞こえて、悪い方の耳もまったく聞こえないわけではありません。わたしにとって不快な症状というのは、聞こえないことそれ自体より、耳の中で音がキンキン響いたり、耳鳴りがうるさかったりすることでした。
たとえば、人の声や音楽が、反響するように耳の中で響く。テレビがついているとキンキンするし、お店に入ってかかっている音楽の音が大きいと耳に響きます。左耳と右耳で聞こえ方が違うせいか、人の話し声、特に女性の声は二重に聞こえたりします。
それと、自分で物を噛む音がかなりキンキン響きます。外の世界の音は工夫しだいで遮断できても、自分の中から出る音はどうやっても遮断できません。生きるって難しいもんです(笑)。
お漬け物なんてまったくだめでした。お漬け物がだめなことは、おそらく想像の範囲内だと思いますが、繊維をかみ切る音というのがかなり響いて、ブロッコリーなど繊維のしっかりした温野菜などが意外にもやっかいでした。勢いをころして、ウニョンウニョンとゆっくり噛むことを心がけていました。
住んでいるマンションのエレベーターが、閉まるときにポーンと音を出すのですが、この音が、左耳では0.2秒くらい遅れてちょっと高めの音で響きます。右耳と左耳で不協和音のように音がぶつかって気持ちが悪いんですね。
で、ふと思いついて、キーボードで音を鳴らしてみたら、右と左で音の高さが違います。
たとえば「ラ」(チューニングで440ヘルツなどに合わせるヤツ)、左耳だけで聞くと「シ♭」に近く聞こえます。もう1オクターブ高い「ラ」だとより高く、ほとんど「シ♭」くらいに聞こえます。
ただし、キーボードの音は、両耳で聞いてもエレベーターのように別々の音に聞こえるということはありませんでした。
なぜそうなるのか、きっと理屈で説明できる人はできるのでしょうが、わたしは「高さが違う」という感覚しかわかりません。人間の耳・音の感知って微妙なバランスで成り立っているものですね。
前回、人の話の聞き方を「少し知ってる外国語」に例えましたが、そんな体験、いくつもしました。
たとえば、夫の話の主語がどうしても聞き取れず、「なに? ハミガキ?」と聞き返していましたが、自民党の谷垣さんの話でした。
なんの脈絡もなく出された単語は理解するのに時間がかかります。政治の話をしているなら、政治ジャンルの中から「ハミガキ」に似た音のものを探してきっとたどりつくのですが、いきなり出されると難しいのです。
固有名詞というのは聞き取りが難しくて、その場にいる人の名前なら半分くらい聞き取れれば把握できるけれど、その場にいない人の名前は、無数の選択肢があるから生半可な聞き取り方では聞き取れないでしょう。
人間っておそらく、聞いたままをしっかり聞き取るのではなくて、話の流れからある程度予想しながら、人の話を聞いて自分の頭で話を組み立てているということでしょう。一字一句聞き取るのは、健康な人でもしんどいことですものね。
自分の不安定な聞き取りから、そんなことを考えました。
続きは次回……「回復編」
<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
2011年07月11日
突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 1
6月のことですが、「突発性難聴」という病気になりました。難聴というくらいですから、耳の聞こえが悪くなる病気です。音をキャッチすることや言葉を聞き取ることが、ふつうとは違う状況が続き、いろいろ(ある意味で)「面白い」体験ができました。時間が経つとおそらく忘れてしまうので、自分のメモも兼ねて、その体験を書き留めておこうと思います。本日より3回に分けてアップします。
なお、「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
「突発性難聴」という病気は、ある日突然、多くは片耳の聴力が落ちる病気で、はっきりした原因が特定されないものです。疲れやストレスが原因になると言われています。ウイルス感染という説もあるようですが、確かなことはわかっていません。聴力が落ちる他、耳鳴りが起こり、めまいを伴う場合もあります。
再発することがない、とも言われますが、わたし自身、この突発性難聴にかかるのは4回目。病院に行って「前にもやりました」と話して驚かれたことは一度もありません。だから、わたしの体感でも実際にも再発することは珍しくないと思うのですが、公的な見解は「再発しない」だそうです。
聴力の落ち方は人それぞれ、もしくはその時それぞれ。わたしの場合は4回とも左耳、低音高音はあまり落ちず、聴力検査のグラフが「谷型」になる、人の話す声や、日常いちばんよく使う部分の周波数がドーンと落ちるタイプです。
「突発性難聴」、本当に突然くるんです。その日はとある企業に取材中でした。左耳に「キーン」とかなり大きめの音で耳鳴りがはじまって、耳の中がつまったような閉塞感。これで、右耳を押さえてまわりの音がかなり小さくなれば、「あ、やっちゃったかも」と過去3度の体験をもつわたしは警戒するわけです。ただ、取材中なのでもちろん右耳をふさぐわけにはいきません。
会議室での取材が終了した後、参考資料を見せてもらうことになり、会議室から出て、エントランスなど“ざわざわ”としたところを通り抜けながら、資料室に移動したのですが、このとき話してくれた方がわたしの左側に立っていて、ほとんど言葉を聞き取れなかったことを覚えています。
少しできる外国語のようなもので、細かいところは聞き取れないけれど「何について話しているか」はわかり、相づちを打っていれば問題ない会話であることは認識できます。だから特に困ることも慌てることもありませんでした。
が……
ちょっと話がそれますが、もともとわたしは疲れると「耳にくる」ことがよくあり、耳鳴りがして音が聞き取りづらくなることもよくあります。寝て治ればいいけれど、寝ても治らなければ耳鼻科に直行、がなんとなく自分のルールになっていて、過去3回はそれで薬をのむと3日〜1週間で治っていました。
しかし、今回は治療を開始してから10日間は、まったく回復する気配がなく、その間、いろいろ考えているうちにこの「取材のときに人の話が聞こえなかった」ことが、自分のなかで「怖い体験」に変化していったのです。
取材というのは、いろいろな形があり、静かな部屋で座ってゆっくり話を聞く以外に、営業中のお店のなかを案内してもらいながら話すこともあるし、喫茶店などで話すこともあります。
周りが“がやがや”“ざわざわ”いっているところで人の話が聞こえなかったら仕事にならないわけです。
3分の1の人はそのまま治らない病気。なかなか治らないでいる間、このまま聴力が固定されたらどうしたらいいんだろう、と考えていたら、このときの取材の体験は(ほんとうに軽い、軽いものですが)フラッシュバックを起こして何度も頭に浮かぶようになりました。
さて、話は戻ります。
発症当日は「寝れば治るかも」くらいに考えていたため、まだ気楽でした。結局、寝ても治らず、以前にも受診した近所の耳鼻科に行って、「突発性難聴、以前と同じような落ち方ですね」と診断を受けました。
そして、4日間薬をのんでも回復しなかったため、総合病院に移って点滴治療をすることになり、わたしの「闘病」は続きます。
続きは次回……
なお、「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
「突発性難聴」という病気は、ある日突然、多くは片耳の聴力が落ちる病気で、はっきりした原因が特定されないものです。疲れやストレスが原因になると言われています。ウイルス感染という説もあるようですが、確かなことはわかっていません。聴力が落ちる他、耳鳴りが起こり、めまいを伴う場合もあります。
再発することがない、とも言われますが、わたし自身、この突発性難聴にかかるのは4回目。病院に行って「前にもやりました」と話して驚かれたことは一度もありません。だから、わたしの体感でも実際にも再発することは珍しくないと思うのですが、公的な見解は「再発しない」だそうです。
聴力の落ち方は人それぞれ、もしくはその時それぞれ。わたしの場合は4回とも左耳、低音高音はあまり落ちず、聴力検査のグラフが「谷型」になる、人の話す声や、日常いちばんよく使う部分の周波数がドーンと落ちるタイプです。
「突発性難聴」、本当に突然くるんです。その日はとある企業に取材中でした。左耳に「キーン」とかなり大きめの音で耳鳴りがはじまって、耳の中がつまったような閉塞感。これで、右耳を押さえてまわりの音がかなり小さくなれば、「あ、やっちゃったかも」と過去3度の体験をもつわたしは警戒するわけです。ただ、取材中なのでもちろん右耳をふさぐわけにはいきません。
会議室での取材が終了した後、参考資料を見せてもらうことになり、会議室から出て、エントランスなど“ざわざわ”としたところを通り抜けながら、資料室に移動したのですが、このとき話してくれた方がわたしの左側に立っていて、ほとんど言葉を聞き取れなかったことを覚えています。
少しできる外国語のようなもので、細かいところは聞き取れないけれど「何について話しているか」はわかり、相づちを打っていれば問題ない会話であることは認識できます。だから特に困ることも慌てることもありませんでした。
が……
ちょっと話がそれますが、もともとわたしは疲れると「耳にくる」ことがよくあり、耳鳴りがして音が聞き取りづらくなることもよくあります。寝て治ればいいけれど、寝ても治らなければ耳鼻科に直行、がなんとなく自分のルールになっていて、過去3回はそれで薬をのむと3日〜1週間で治っていました。
しかし、今回は治療を開始してから10日間は、まったく回復する気配がなく、その間、いろいろ考えているうちにこの「取材のときに人の話が聞こえなかった」ことが、自分のなかで「怖い体験」に変化していったのです。
取材というのは、いろいろな形があり、静かな部屋で座ってゆっくり話を聞く以外に、営業中のお店のなかを案内してもらいながら話すこともあるし、喫茶店などで話すこともあります。
周りが“がやがや”“ざわざわ”いっているところで人の話が聞こえなかったら仕事にならないわけです。
3分の1の人はそのまま治らない病気。なかなか治らないでいる間、このまま聴力が固定されたらどうしたらいいんだろう、と考えていたら、このときの取材の体験は(ほんとうに軽い、軽いものですが)フラッシュバックを起こして何度も頭に浮かぶようになりました。
さて、話は戻ります。
発症当日は「寝れば治るかも」くらいに考えていたため、まだ気楽でした。結局、寝ても治らず、以前にも受診した近所の耳鼻科に行って、「突発性難聴、以前と同じような落ち方ですね」と診断を受けました。
そして、4日間薬をのんでも回復しなかったため、総合病院に移って点滴治療をすることになり、わたしの「闘病」は続きます。
続きは次回……