突発性難聴の話、3回目、今回で最終回です。(ちなみに、→
1回目、→
2回目)
さて、発症してから12日目くらい、閉塞感が和らいだかな、と思うときがありました。その翌日、聴力検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツのあたりがだいぶ盛り返していました。いちばん落ちている2000ヘルツはまだ落ちたままでしたが、閉塞感はより低い方の音に関係するせいだろうとドクター。
ここを境にぐーんと回復は進み、さらに3日後の検査では2000ヘルツもずいぶん聞こえるようになりました。音がキンキン響いてツラいのも、左右で音の高さが違うことも収束してきました。
その辺りからです。「世の中ってこんなにうるさかったっけ?」と感じるようになったのです。
世の中のBGMの音が大きい。お皿をガチャガチャする音が大きい。たまたま喫茶店で隣に座ったおばさまの実にどうでもよい会話が勝手に耳に入ってくるなんてうるさい。
「会話が耳に入ってうるさい」というのは、2週間以上、街で他人の会話がふいに耳に入ることが少ない状態に置かれていたら、どうもそれに慣れきっていたみたいなのです。
自分に関係のない話がしじゅう聞こえる状態というのは、どうもストレスのようです。だから、他人の会話が飛び込んでこない状態は、自分にとって都合がよくて、すっかりラクになっていたのでしょう。
街でふいに人の会話が飛び込んでくること、疲れるなあと思ったことはありませんか?
そしてまた3日経って検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツはまったく正常な状態、2000ヘルツが少し、4000ヘルツがほんの少し、聞こえが悪いけれど、それは「目標達成」の状態とのこと。無事「治った」わけです。
ただ、少しだけ聞こえの悪いこの周波数がくせ者。リクルートメント現象(聴覚補充現象)といって、聞こえの悪い音を聞き取った場合に、ものすごく大きな音に感じ、耳に刺激を感じてしまう症状があるそうです。
どうもわたしにはこの現象が起きるようで、レジ袋やプラスチックの容れ物ががしゃがしゃいう音、紙を破ったり新聞をめくったり真っ直ぐするためにぺりぺり言わす音、食器がぶつかる音などなどが、とても大きく聞こえます。世の中の音が大きいと感じたのは、このせいなのかもしれません。
カフェで隣の隣くらいでパンを袋から出す音が、すぐ耳元でカシャカシャやられたような気がしたり、図書館で新聞をめくる音に驚いたり。おおげさな演技のように、肩をふるわせて「びくっ」としちゃうんです。
家でもうるさい音は気になりますが、予想の範囲の音しか聞こえてこないので、そんなに困ることはありません。だけれど、外の世界はいろんな音に満ちていて、ふいに「びくっ」とさせられること多数。聞こえが悪くなっている2000ヘルツ〜4000ヘルツあたりの音が、「補充」されて不自然に大きく聞こえるようなのです。
わたしが敏感になるのは、そのうまく聞こえない周波数を含んだ音まわりのことだから、ずいぶん部分的な感じ方しかしていないのでしょう。
それでも世の中にこんなに音があふれていて、意外な物が意外に音を立てることに気づきました。新聞をめくるときにぺりぺり音が鳴ることなんて気に留めたこともありませんでしたからね。
病気はもうしたくないけれど、
前回、
前々回に書いた言葉の聞き取り方や左右での音の聞こえ方の違いを含めて、「世の中の音」を考える、いい機会になったなあ、なんて考えています。
ところで、今日現在はどうかというと、家にいる限りは、ほぼ不都合なく過ごせます。外に行くと、ふいに音にビクリとすること、「音がうるさい、聞くのが疲れる」と思うことがまだあります。
でも、2週間前より1週間前、1週間前より今日の方が、ラクにはなっているような気がします。
これを「後遺症」と呼んでしまうと果てなくついてまわりそうな気がするから、わたしは今もゆっくりと回復途中なのだ、と思うようにしています。
<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。
posted by chiyo at 18:08| 東京 ☀|
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