2013年03月04日

本を買うことと読むことのあいだ

暮れにKindleを入手、「データを買って読む」というスタイルも特別なことではなくて日常的な読書の手段のひとつになってきた。で、気になってきたことがひとつある。

欲しい本が出てきたり、SNSやWeb上で面白い本の話題を見つけると、とりあえずAmazonで検索してカートに入れて、「欲しい本メモ」がわりにしているのだけれど(その後、リアル書店で買う場合もある、他のネット書店で買うこともある、図書館で借りることもある、図書館の予約を入れてカートにも残しておいて、なかなか回ってこないなあ、買うかなあ、なんてのもやる……もういいって?)、Kindleは、カートがなくて1Clickですぐに買うという買い方しかない。

しかたがないので、Kindle本は「ほしい物リスト」に登録してメモしているけれど(正しい使い方はこっちなのかもしれないね)、どうもしっくりこない。なんでこの「カートがないこと」にこんなに戸惑うんだろうと考えていたら、「本を買う」ということと「本を読む」ということが別の「楽しみ」として私の中に成立しているからじゃないかと思い当たった。

もちろん本は読むために買う訳なんだけども、買ってきて(配送されてきて)、積んで「おー、読むのが楽しみだー」と楽しむときってのがあって、その前の段階として、「購入候補」の本の中から、「どれにしようかなあ、やっぱりこれはいち早く読みたいよねえ、季節的にはこれとこれかなー」と、選ぶ楽しみがある。

欲しい本を表示させて、即Kindleに送って読むってのは、その楽しみの分が減っちゃうような気がするわけで。
Amazonでは「1分以内にKindleで ○○○ をお読みいただけます。」なんて宣伝文句も出てくるわけだけど、ちょっと時間をかけて買うのを楽しんで、読書タイムになったら本を読んで楽しむ、なんてペースがまだまだ私の習慣らしい。
「新幹線に乗る前に駅の本屋さんで今から読む本を選ぶ」ようなシチュエーションでしか、私には「買う→即読む」てことがなかったのだろう。
そういえば、これはまだKindleを買う前に、移動中に持ってた本を読み切ってしまって、退屈して、iPhoneで200円くらいで短編を落として便利だったことがある。そういうある種の慌ただしさを連想させてしまうのかもしれない。とはいえ、まあ、「買う→即読む」のペースの「本の買い物」にもすぐに慣れるのだろうと思う。


そんなこんなで、「今読む本を今ダウンロード」というスタイルは、私がしょっちゅうやってる「積ん読」を避けるスタイルでもある。しかし本屋さんとしては「積ん読」してもらわないと困るところもあるんだろう。
Kindle本は期間限定の値下げなんてのもやってて、「今は読む時間ないけど、安くなってるし、今のうちに買っとこう」という罠(?)をしかけはじめた。買ったけどまだ読み切っていない本がセールで大幅に値下がりしていると、妙に損した気分になって、「いつ買ったら得か」ていうジリジリした焦燥感が本の買い物に持ち込まれるのも、なんだか落ち着かないと思う。これもそのうちに慣れるだろうか。

そういう周辺のあれやこれやじゃなくて、購入を考えている人にとって大事な話題といえば、Kindleの読み心地。
それについては、1冊の本をはじめから終わりまで読み切るのには、紙の本の感覚と全然変わらないと思う。ただ、途中でちょっと前の方の内容を確認したくなったようなとき、数ページをペラペラめくって戻って読む、というようなことがしづらい。このあたりがもうちょっと使い易くなってくれると、持ち運びが重くなくて暗いところでも読めて、紙の本の便利さを超えるんじゃないかなあ。


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2012年03月05日

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(ただし本の方)

映画が話題になっている『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』
小説の方を読んだ。

風のウワサで(映画の方のウワサだと思う)、
<「9.11」で父を亡くした息子の感動秘話>
と聞いていたので、
一般的に感動秘話にはあまり関心がなく、
特に「9.11」のニューヨーク市民の感動秘話には(例外はたくさんあるだろうけれど)興味を持てず、
父と息子的なものは、さっぱりピンとこない私に、向いた物語ではないのだろうと思っていた。

でも、映画云々の前に、原作の小説はとても評判がよいらしいことを
これもなんとなく風のウワサで聞いたので読んでみたわけだ。

一言。食わず嫌いしなくてよかった。

いわゆる「父と息子」譚ではなくって、
「父と息子」を含んだ
三代にわたる一族の物語。
ドイツからの移民であるおばあちゃんの話、
そしてその息子であり、テロで死んでしまうパパ、
ユーモラスな生意気さで語りながら、
主人公は大好きなパパを突然亡くしてしまった悲しみを抱えきれずに抱える。

第二次世界大戦、テロ、たくさんの書きつけられた手紙、紙に書かれた文字、
理不尽に燃える炎とその炎をますます大きくする紙、
それぞれが抱えきれずに抱える悲しみ。
共通のイメージが三代を貫いて、読み進むにつれてあっちの物語と、
こっちの物語が円環を作っていく様子が気持ちがいい。

あっちの物語とこっちの物語が一族のタペストリーのように織り込まれていくうちに、
抱えきれずにいた悲しみを少しずつ消化していく少年の成長も、
読む労力に足るというのも変な言い方だけれど、「読みがい」があるというか、
生意気な主人公のようにいえば読むレゾンデートルがあるというか。なんじゃそりゃ。

写真をはさみこんだり、行間がどんどん狭くなって字が重なっていく手帳を
そのまま活字で表したり、そういうビジュアルのしかけも、うまくはまってる。

そういう視覚的な見せ方も、視点や時間空間を移しての群像劇的な要素も、
確かに必ず誰かが映画にしたくなる物語だと思う。

願わくば、もうちょっと長いといいな。
この倍くらいの量があっていもいい。
500ページくらいあったと思うけれど、それでも途中でずいぶんはしょった感じがする。
その分、エピソードを直接書くんじゃなくて、誰かに報告する、告白する、という形で見せるという
ヴァリエーションが増えて厚みがあるという点はあるけれども。

おじいちゃんの40年にはもっと肉付けがあってもいいし、
おばあちゃんのお姉さんやお父さんのことも、もっと知りたいかなあ。
ママの話ももうちょっと聞きたい。
いや、それじゃあバランスが悪くなるか。うーん。

いい時間を過ごさせてもらった小説。読もうか迷ってる人がいたらおすすめ。


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2009年07月30日

堀江敏幸で読む、世界の本の女たち

彼女のいる背表紙


書物のなかで出会った印象的な女性についてつづったエッセイをまとめた本。
なんで「印象的な女性」かというと、雑誌「クロワッサン」の連載で、読者層に合わせてのこと。

どの回にも、いろいろな国の、ああそれはそれは読んでみたいと思う小説たちが登場する。
日本を含めて世界中に面白そうな本がこんなにあるのに、私はこんなところでちまちました仕事なんかしてていいものか、こんなところで酔っぱらってくだ巻いててなるものか、と思ってうずうずしてくるんだ。
けれど結局のところ、この中に書かれた本の何冊もきっと私は読めないんだろう。私を待ってる本がこんなにあるのに、ちーっとも読めないと、どこかでくだを巻くんだろう。

筆者の堀江敏幸は、大学生の頃の私の中では、誰も読まなさそうな詩人や小説家の紹介をしながら(失礼! 私が知らなかっただけだと思います。訳書は気に入ったから印象に残ってるんです)翻訳している人というイメージだった。
そのうち、枯れた味わいが魅力の小説を書いて、三島賞とって芥川賞もとって、
こうしてマガジンハウスの雑誌なんかに登場しても「インテリおしゃれ」な雰囲気を出す気の利いた人となっている。
今の私の中では、確実に「お気に入りの作家」だ。

昔ながらの下町の路地で猫を追いかけるような暮らしぶりが、貧乏くさくならず彼方にフランスの香りが漂う、(具体的にそんなシーンはないと思うけど)そんな世界が気になる人にお勧めな作家。未読の方はぜひ!


****
本日(7月30日木曜)のメルマガ発行は無理そうです。
週末あたりに出せれば、と思っていますが、
予定が不透明です。ごめんなさい。

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2009年07月20日

エコとヒト

「エコ罪びと」の告白


自分が使っているもの、Tシャツとかジーンズとか、コーヒーやビールの缶、エビやインゲンマメ、パソコンや結婚指輪などが、どうやって生産されて、どんな経路をたどって自分のもとにやってくるのか、取材したレポート。

基本的に「エコ」の立場からのレポートだけれど、発展途上国で、物を作っている人たちの労働環境や社会での自立などを、時にエコより優先して考えているところがいい、と私は思う。

たとえば、収穫から48時間以内にイギリスのスーパーに陳列されるケニアのインゲンマメは、確かに、空輸の膨大なエネルギーを使って届けられるエコじゃない野菜だ。
しかし、インゲンマメを輸出することで、生活をよくし、子どもに教育を受けさせられるようになった生産者の仕事を、奪うことは得策ではない。

また、価格競争の激しい、ジーンズを作るバングラデシュの工場の厳しい労働環境を知ると、自分がはいているものの来歴も心配になる。
それでも現地の人々は、はじめて女性が仕事を持てたのだから、先進国の人は購入ボイコットなんかしないでほしいという。それよりは、代金を少し、多めに払ってくれ、と。

ジーンズのレポートから、バングラデシュにかなりの量の綿を輸出するウズベキスタンの様子を見に行くフットワークの軽さも頼もしい。
いろんなことを考えさせるドキュメントだった。

考えさせられた結果、いろんなころがわかるというより、わからないことが増えてしまうので、やっかいなことにもなる。
「地産地消」がつねにいいわけではなく、「フェアトレード」は必ずしもフェアじゃなく、リサイクルは必ずしも環境によくはなく、ああ、じゃあどういうことを基準に考えたらいいんだろ。



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2009年05月26日

なぜか相次いで、小説の読み方・書き方の本

小説の読み方とか書き方とか、そういう指南書っぽい本を続けざまに読んだ。


平野啓一郎
小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)

柴田元幸 高橋源一郎
柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

島田雅彦
小説作法ABC (新潮選書)

平野啓一郎の『小説の読み方』は、綿矢りさ『蹴りたい背中』、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』、美嘉『恋空』などのベストセラーを含めた9編の小説を取り上げる。
その抜粋を分析し、文体がどんな効果を上げているか、読者をひきつけるのはどんなところなのか、などを解説している。

なるほどねー、作家って、そういうことを考えながら書くんだー、とてもわかりやすく楽しめる。
ただ、「感想が語れるか」というと、違う気がするなあ。これを読んで理解できても、じゃあ別の作品を平野氏のように解説できるかというと違うし、分析が感想につながるとも限らないし。
これを考え出すときっと、「感想を語る」とは何ぞや、てとこに行き着いてしまうんだろうけれど。

『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』は、
人気翻訳家と現代日本文学の第一人者の対談形式。

読み始めたら、なんだか、難しくて絶望的な気持ちになってしまった。
だって、二人が話題にする本の半分どころか、ほとんど何も読んでないんだもの。自分が好きな分野だと思っているところに、こんなにも知らないことがたっぷりある。なんだかクラクラしてきた。

そんな気持ちで読んでいたら、「あ、高橋源一郎が知らないって言ってて、あたしが読んだことのある本があるじゃないのー」てなところに反応するようになり……(イスマエル・カダレの『夢宮殿』)、なんだか不健全な感じ方をしてしまった。
それでも、後半、「小説の読み方」(日本文学編)の章に入ってくると、知らない単語が比較的減るためか素直に楽しめた。

柴田元幸の
たぶん大江健三郎までは学生が「大江の思想は……」ということを考えていたかもしれないんだけど、村上春樹さんが出てきてからは「村上の思想は……」といったことは誰も言わなくなって、みんなが「私の村上ベストスリー」とかを言うようになった。
という言葉はなるほど、コンパクトに文学の転換期を表現してるな。

『小説作法ABC』は、大学で創作の授業もしているらしい島田雅彦の小説を書くためのエクササイズ。1章が1回の講義にあたる形式だ。

小説家って、いろんな訓練やら物の見方やらしていないとサビつくんだな。
この本は人に小説を書かせるというよりも、この本を読んで、こんなにエクササイズをこなして書く練習物語る訓練をしなきゃいけないなんて大変だ、と中途半端な小説家志望者をふるい落とすことに機能を発揮するような気もする。

同時期に、人気の作家・翻訳家たちの指南書が出た理由はよくわからない。
たぶんただの偶然だろう。
ともかく、平野が、この対談の高橋の発言に言及しているところもあり、高橋が島田の名前を出すこともあり、互いにリンクしてる感じもあって、私は、同時期に出た偶然を楽しめた。

しかし、書いて形にするというのは、恐ろしい作業なんだなあ、と思う。
どこかで憧れてはいるけれど、私にもいつか「作品」てなものを書くことがあるんだろうか。
posted by chiyo at 22:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月19日

ルート350


古川 日出男
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ハードカバーで読み損ねているうちに、
文庫で発売、ありがたや。
ちょっと長い時間電車に乗る機会があったから、
一気読みできた。

文章から、サウンドがにじみ出る。
文章で表されている内容の、でなく、文章自体のね。

文章から、ムービングがにじみ出る。
文章で表されている内容の、でなく、文章自体の動くそれがね。

それがなんだか面白くって、電車でにんまりする、
気持ちの悪い人になってしまった。

8編の短編を読むと、このストーリーたちは、私を通して、
ひょっとしてセカイに浸食していくんじゃあるまいか、と思う。

私が特に好きなのは、
「ストーリーライター、ストーリーダンサー、ストーリーファイター」
それに
「飲みものはいるかい」かな。
後者は、飯田橋がとてつもなく素敵な場所に思える!
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2009年03月29日

今日は八百屋お七の日だって

今日、といってももうすぐ終わりだけれど、
3月29日は、八百屋お七の日なんだそうだ。

恋しい人に会いたい一心で、
火事になったらあの人にもう一度会えるかと、
放火をおこしたと、火あぶりの刑に処されたその日が
3月29日だったそうだ。

そういえば、八百屋お七の話って、あんまり詳しくは知らないな、と思って、
井原西鶴の『好色五人女』を図書館で借りて読んでみた。

お七が半鐘を鳴らして火を呼び込むような情熱的なシーンが、
有名な気がするんだけれど、それは後に浄瑠璃や歌舞伎で演出されたことなのか、
火のシーンは実にサラリとしていて、とっとと、お七が引き回されるシーンの描写に
筆は割かれていた。

そして何より意外だったのは、
お七というのは、すごく情熱的な女性なんだと思っていたら、
彼女はとにかく、若くてうぶで、
それこそ「甘酸っぱい」という形容が似合うような、
幼い初恋に夢中になる、かわいい娘だ。
男の方だって、恋なんてどうしたらいいのやらわからない、
幼いかわいい男の子だ。
八百屋の両親に怒られて引き裂かれて、
会いたい会いたいの一心で、
そもそも出会ったきっかけだった火事を起こしてしまう。
それでも、なんだか、無邪気でかわいい恋だ。

エピローグを見ると、男の吉三郎の方は、
お七ほどに、相手を想っていたんだろうか、と私は不思議。
途中までは、変装してでも会いに来た彼だけども。
両方が同じ程度に愛せないのが恋の常だけれど、
私はけっこう、本気で切なくなっちまったよ。

その上、吉三郎は、男に囲われる(ことが約束されてた)身
(ちょっと衆道という制度のことがよくわかってないんだけれど)。
はじめっから、この恋人たちには、未来はなかったんだよな。


久しぶりに休みらしい休みになった日曜日。
八百屋お七に胸つまらせて、終わってしまったよ〜。

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2008年03月10日

他人の思惑・自分の都合

久しぶりに、ね、コレ読みなよ、いいからさー、とお節介を発揮する本に出会った。
自分で面白いと思う本に出会うことは、別に久しぶりじゃないけれど、
人に勧めたってぜったい間違いない、て本はそうそうない。
で、これもすでに家族にお節介を働いて鬱陶しがられたので、
しょうがない、世間に向かってお節介を働くコトにする。


中島 京子
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のんびり老後を暮らしているはずだった元歯科医のもとに、
夫が事業に失敗して実家に身を寄せた長女一家、
離婚してで戻ってきた次女が住むことに。
そして見ないようにしていたけれど、長男はひきこもり。
突然8人の大家族になった緋田家の物語。

章ごとに、8人一人ひとりの目線でつづられる、一種の群像劇と言ってもいいだろう。
家族はこう見てるだろうけど、ホントは自分はこうなんだ、なんて思いを皆が皆抱えていて、それが読む方には、老若男女問わず「ワカルヨー、ソレ」とうなづけるものなのだ。

リズムのいい筆致と、ちょっと意地悪に、でもやっぱり優しい、作者の眼差しが、気分がいい。

ドラマ化したい、なんて人いそうだけど。その場合、登場人物それぞれの心のつぶやきをどう表現するかが難しいだろうなあ。
posted by chiyo at 12:27| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月29日

下流志向 イライラする読後

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち


内田樹の著作というのは、いつもそう。
8割がた、なるほどなるほど、うまいこと言うねえ、と
思いながら読むんだけども、残りの2割くらいで、
どーしても受け入れたくない、という思いが残る。

理屈ではなるほどと思えても、そう言われてほほえむことができない、というか、感情が許さない感じ。

この本もそうだった。
ちょっと極論なところや、他人の本のまんま受け売り的なところはあれど、
分析は正しいのかなあ、と8割がたは思う。
けど、どうも、なんだか、全面的になるほど、と素直には言えない。
それが何なのかはよくわからないんだけれど、
読み終わってしばらく考えていたら、イライラしてきた。
なんでなのかは、よくわからない。

きっと、優れた評論家なんだろうとは、思う。部分的には、なるほど、その通りだ、と思うコトって、この人の本で、たくさん出会った。
でも、なんでだろうなあ、残りの何かが足らないか、何かが過剰か。口調なのか、まなざしなのか。よくわからないが、何か納得いかない。
わかるのは、イライラしてもつまらないから、
それ以上なんでだろう、と考えるのもイヤだな、ということ。

posted by chiyo at 22:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

水辺に沿ってサマーバケーション


古川 日出男 / 文藝春秋(2007/03)
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メルマガお休みでスプリングバケーション中の私。
いろいろ本を読んだ(読んでいる)けれど、
断然おすすめがこちら。

顔の区別がつかない少年が、井の頭公園から、
神田川に沿って、川の終わり=海を目指す。

顔の区別がつかない彼は、
顔は一人ひとり違っていることがわからなくて、
人を区別するのに、その人のにおいや、「声の体温」で判断する。

その認識方法の特別な世界も面白いけれど、
偶然会ったいろんな人と、
街を流れる川をひたすら下って歩いていく「冒険」が楽しい。

次の晴れたちょっと汗ばむような陽気の日には、
神田川を海まで下る冒険を、断然、したくなった。

私のやりかただと、
自転車でポタリングしながら、
まず善福寺川沿いを通って神田川に合流ってことになりそうだけど。

源流から、海へ。
しかも住宅街を流れる小さな川。
てのが、こんなにもロマンになるなんて!


posted by chiyo at 13:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

物騒なロシア情勢の中で読み返す本

最近、ロシアの暗殺疑惑が、
スキャンダラスに報じられているけれど、
それで思い出したのがこの本。


アンドレイ・クルコフ, 沼野 恭子 / 新潮社
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舞台はロシアでなくてウクライナだったと思うけれど、
このご時世に読んだら、妙なリアリティで以前とは違った楽しみ方ができると思う。おすすめです。

同じ作者の新作『大統領の最後の恋』
が出たけれど未読。
ちと高いが、早く読みたいな。
ラベル:ロシア
posted by chiyo at 23:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

加藤典洋さんに……

Amazonから届いた川上弘美『真鶴』を、昨夜3分の2くらい読んで、
今夜残りを読もうと思っていた。
ら、
今日の朝日新聞の文芸時評で加藤典洋氏が、
この本の「最後のシーン」を引用してほめていた。

いわゆるストーリーを気にする類の小説ではないし、
だいたい、今読んでる途中の本が取り上げられてたら「ネタバレ」があるかもしれないと、
警戒しておけ、ていうことでもある。から、別に怒ってるわけではないんだが、
一応、それなりに、どうなるのかな? とドキドキしながら読んでたんだけどなあ。

文芸時評に取り上げられる作品が既読とか、読んでる最中なんてホットなこと、
めったにないから、取り上げられてたら「おっ」っと、
つい見ちゃうじゃない? つい読んじゃうじゃない?

批評する人は、当然作品を最後まで読んでいて、その結末も含めて評する、
そうじゃなきゃ、フェアな批評にならない。
だけど、批評家と、批評を読む人は同じ情報を共有しているわけではないから、
読むことの楽しみを増やすために働いている(そうだよね)はずの批評家が、
読者の楽しみを減らすことだってある。難しいハナシだな。

私は週1でメルマガを出して、映画についてあーだ、こーだ、と
言ってるわけだけれど、結末は書かない。
私の場合は「批評」してるんじゃなくて「紹介」してるんだし、
作品をまだ観てない人がうっかり読んじゃっても、たぶん大丈夫。
だけど、結末も含めて何か言えるんなら、あーー、もっと面白いこと
いろいろ書けるのになあー、と思うこともしばしば。
結末も含めて語らないと、どうにも面白さが伝わらないな、というときもある。

映画や、小説でもエンタテインメントの部類に入るものの場合、
人はこういう「ネタバレ」を気にする。そういう配慮が当然だと思われる。
でも、小説でも純文学の部類に入るときは、あんまり気にしない気がする。
考えた末に、物語の流れや結末を批評の上で書いてしまってもしょうがない、
という決定をしてるんじゃなくて、ストーリーを追ったりするのは、
一段低次元のことだから、別に気にしなくていい、と
最初から逡巡ないような気がする。
私のイメージなので、勘違いかもしれないけれど。

もちろんストーリー以外にも楽しむ要素はたんとある。
『真鶴』も、あらすじを全部知っていたって、私は読むと思う。

細部を楽しんだりすることは、二度目に読むときも、
三度目に読むときもできる。だけど、どんなお話なのか知らなくって、
期待しながらページをめくっていくのは、いっちばん最初の、そのときしかない。
一度知ってしまった人は、戻りたくても、まっさらな読者には絶対に戻れない。

先に何があるのかわからないわくわく感を、
あまり重視していない文芸関係者が多くいるとしたら
(念のため、これは別に、加藤氏や朝日新聞を批判しているんじゃない)
文芸界の未来は暗いのじゃないかなあ。


これに脱力せずに、今夜読了して、文芸時評の方も、もちっと、ゆっくり読もう。
何しろ、こんなホットに読める文芸時評なんてめったに出会えないだろうから。
posted by chiyo at 23:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

人間の体、動物の体

それほど期待しないで、仕事の資料にでもなれば、と
読んでみたら、いつの間にか夢中になってしまった本。

遠藤 秀紀 / 光文社
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生物や、進化の基礎知識もなく、
人間の体の作りのこともよく知らない私だが、
そういうところの基礎知識が(ちょっと)身について、
手を動かしたり、歩いたりするたびに、
人の構造を意識するようになった。

身近な自分が、自分じゃなくなるような、
よりよく認識できるような、不思議な気分がする。

生物とか身体とか、あんまり興味のない人にもおすすめ。
posted by chiyo at 22:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

文化を滅ぼさないため、私たちができること

なーんて、、偉そうなタイトルをつけてみたが、
本の紹介。
著作権とは何か―文化と創造のゆくえ

扱いの「難しさ」が強調される「著作権問題」だけれど、一体何がどう難しくって、そもそもどういうものなんだろ。
そんな素朴な疑問を持った人に最適な本。

著作権とは壮大な実験であって「印刷技術が飛躍的に普及し、作品の複製や流通が発達した時代では、自由に創作できるメリットよりも、勝手に海賊版や模倣策を流布されるデメリットの方が、大きい。だから、無断の複製や翻案を制限しよう、そうすることが芸術文化を育むはずだ、という前提で著作権は正当性を認められて」いる。だから、もしも「この前提が間違っていて」「著作権があることで芸術文化はかえって細ってしまった」としたら、著作権のシステムは根本的に見直さなくてはならない、(p.117-118)という指摘は、言われればなるほど、だけれど、言われなきゃ、気づかない。
著作権があることで私たちが獲得できているメリット、失ったもの、著作権が何を目指しているのか、自分の頭を整理できる。
文化を守るための著作権をちょっと考えてみたい人にはおすすめ。



posted by chiyo at 15:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

ツアー1989

パスワードをかけて自分のメモ用にしているblogを持っている。
読書日記・読書備忘録のつもりで、
漫然と読んで読み捨てていると、片っ端から忘れてゆきそうな
「読んだ記憶」を残して、あとから見たときに、
へー、あ、そういやそんな本読んだっけねえ、
と楽しもうかと思ってのことだ。
後からそんな記録を見ると、覚えていると思った事実って、
ひどく部分的で、おぼつかないものだと思い知ることがある。

自分用にしているのは、「面白かった」だけでも気軽につけられるように。

なのに、ちっとも続かない。
今見たら、今年の4月で止まっている。
ふつうのblogにした方がいいのかねえ。
というわけで最近読んで面白かった本をひとつ。

朝日新聞の書評で斎藤美奈子氏がほめているのを見て読んでみた
中島京子『ツアー1989』

「凪子さん」と親しげに、語りかける手紙を受け取った主婦。
自分しか知らない事実も書いてあるから、確かに自分宛なのだと思う。
しかし差出人に心当たりがない。

1989年の香港からやってきた手紙は、
記憶のかなたに葬ったのかもしれない事実を、登場人物に思い出させる。
しっかり持ち続けていると思っていた記憶は、時を経て違うものになってしまったのかもしれない。
ツアーのメンバーが現地でふっと消えてしまう「迷子ツアー」という
ある時期旅行社が多く企画したツアーの存在が、
やがて明らかになっていく。

真相はどうなるのかと、ページをめくる手が急ぐストーリーがしっかりあって、
そして、現代社会のことや、生きることを、ちょっと考えさせてくれる
知的な刺激もある。
楽しい小説だった。他の著書も読んでみたい。
だけど、この作者の名前、全然難しくないのに、どうも覚えていられない。
現地でふらっと消えちゃうんだけど、誰も定かに覚えていない
ツアーメンバーみたい。

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2006年04月25日

木曜日の非常口がなくなってから

朝日新聞の毎木曜夕刊に連載されていた詩人・アーサー・ビナードの「日々の非常口」が好きだった。
木曜にはいそいそと玄関先で夕刊を広げていたものだけれど、4月に入ったらなくなってしまった。
他の曜日に移動したのかも、と毎日くまなく探したけれど見つからない。
ネットで検索してみたら、3月で終了したようだ。
3月末ちょっとバタバタしていたから、最終回を読み逃してしまったのだろう。

もともと言葉に対する感性が高いお人のようだが、
さらにその感性は、日本語と母語である英語とのあいだを行ったり来たりして、生まれた頃から日本語にどっぷりつかっていた私が、思いもしなかった発想を届けてくれる。
かといってムズカシク言葉をひねりまわすんじゃない。
構えず自然にほのぼのすくすくと日本語や日本の生活やアメリカでの思い出とたわむれてみせる。

検索していたら、未入手だったエッセイ集が発刊されているのを発見。
言葉をめぐる暖かくするどい視線はいつも通り、来日から続けているお習字や、落語との出会いなど、楽しいエピソード満載だ。
『出世ミミズ』
おすすめ。

講談社エッセイ賞受賞作『日本語ぽこりぽこり』も。



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2006年03月22日

ピアノの練習の時間だよ

新美南吉『ごん狐』は、私の涙作動装置。

母の敵とごん狐を兵十が撃ってしまった直後

「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。

このシーンで涙がでるのはもう条件反射的なことだ。
私の耳元で
「ごん、お前(まい)だったのか。」
とささやけば、涙腺のスイッチ作動。
「うぅぅ」じわっと涙が目にあふれる。

小学校の頃この作品が教科書で扱われることになった日にはあわてた。
何しろ条件反射で涙が出るんだから。
なるべく最後のシーンを読まないように。目に入っても涙が出ないように。
大変な苦労をしたものだった。

悲しい物語は世にあまたあれど、
こんなふうに条件反射で涙を流させるものは、他になかった。

だけども、21世紀にもなり、いいおばちゃんになってから、
そんなセリフがひとつ増えてしまった。
それが標題のセリフ。

手塚治虫の『鉄腕アトム』中の「地上最大のロボット」を
下敷きに浦沢直樹が大胆にリメイクした『PLUTO』。
第1巻に登場する。

そんな所で歌ってないで、早く帰っといで。
ノース2号……
ピアノの練習の時間だよ。

あ、だめだ。涙腺スイッチが……

『PLUTO』03豪華版、24日発売だそうです。(通常版は30日)
楽しみな反面、これ以上悲しいロボットの最期が続くと、こわい。

参考:青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html
posted by chiyo at 19:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする