2019年04月20日

切り崩した感情貯金

《あなたは多分、子供の時に豊かな感情をお持ちだったはずです。(中略)あなたはそもそも豊かな感情をお持ちだったから、「これ以上はもういいや」と思って、感情の豊かさを維持したり増やそうとはしなかった。豊かな貯金量を崩して使い続けるということをした結果、感情で自分を支えることが出来にくくなって、「やらなくちゃ」と思う頭の論理だけで支えるようになったから、「つらい」になるのです。》

『橋本治のかけこみ人生相談』という本を読んでいたら、「ああ、これって私のことだわ」と身につまされてしまった。
相談者の状況は私は似ていない。社会人になりたての会社員の《いわゆるいい大学からいい会社に入って、労働環境もわりとよい。しかし、会社が嫌でたまらない。考えてみると、大学・大学院時代も「つらいなあ」と思うだけで日を過ごしてきた。なんでこんなにつらいんでしょう。》という主旨の相談だ。

めちゃくちゃ努力をしなくてもなんとなくいろんなことができてしまった相談者に対し、そういうことができたのは豊かな感情があったからで、それが枯渇に向いたのは、成績が悪くなったわけでもないのに受験に怯え続けた頃のことだと、橋本はいう。怯えるのは自分の豊かな感情がなくなりつつあると感じた結果なのだと。

相談者ではない私には、この指摘が的を射ているのかどうかは知らない。ただ私には思い当たることがたくさんあった。

事情はこちらの記事に詳しいが、数年前から私は、とにかく疲れて活動量がものすごく少なくなる状態にあって、毎日毎日、やらなきゃならないことを乏しいキャパのなかに押し込めて、自分のキャパを越えそうな仕事やらイベントやらが迫ってくると、「ちゃんとやれるか」とひたすら怯える生活を送っている。

そうして、とにかく「やらなきゃ」と頭で自分を追い込んで、少し時間に余裕ができたときでさえも、その「やらなきゃ」の気持ちばかりで焦り、好きなこと(好きだったはずのこと)も「やれるか」と怯えながら義務感でこなしている。

そうか。私は豊かな感情という貯金を切り崩しながらなんとかやってきて、もうそれがなくなっちゃったのかもしれないなあ。そう思い当たったのだ。
じゃあ、どうすれば?

《あなたがなくしてしまった、あるいは新しく増やすことが出来なかった最大の感情は、「なにかを好きになる、好きになれる」というものです。物であっても、人であっても、行為であっても、「自分はこれが好きだ」と思えれば、幸福感が生まれます。人間にはそれが必要なのです。(中略)つらい」の反対には「好き」があって、「好き」と思える感情がなくなると、「つらい」になるのです。》

橋本は相談者に対して、なにかを好きになるという感情を取り戻すことを勧める。

別の相談者で「好きなことが見つからない。見つける方法を教えて」という人に対し、《ではどうすれば、「なにかを好きになる」ということが可能になるのでしょうか? あなたの胸の中は、なにかの理由でしっかりとガードされっ放しで、自分の外側にあるものを受け入れることが出来ないでいるのです。(中略)なにかを好きになるためには、自分の方に「それを受け入れる土壌」を作ることが必要です。カチンカチンなった自分の心を耕して、もっと柔らかいものに変えるということです。そのためには、あまり役に立たないことをアレコレ考えるのをやめることが必要です。》とアドバイスを送る。

ああ、そうだね、倒れる前にちゃんとやらなきゃ、とにかくやらなきゃ、で、なんだかいろいろでカチンカチンになっているのかもしれない。
感情は枯渇し心はカチンカチン。ああ、大変。

つまらないことをアレコレ考えずにボーッとしろと橋本はいう。自分では気づいていないかもしれないその緊張をぼんやりして解こうという。

私は幸いなことに、好きなことはわりといろいろあったのだ。
だから新しく見つけなくても、ボーッとしてそれを思い出せばいいのかもしれない。
ボーッ
ボーッ
ボーボーッ

心の習慣というのは知らないうちに自分を支配しているもので、感情貯金再開への道は長そうだ。
自信はないけれど、でも、ちょっとは心がけてみようか。
ボーッ

posted by chiyo at 12:05| 東京 ☁| Comment(2) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

3年後の3月11日の私、いつも「私」

3月11日ということで、新聞やテレビで特集が組まれたり、
SNSでは、各自が「あの日」を振り返ったり、それぞれ震災が起きた日とその後に思いを持つ日です。

ただ、私は、当日電車の中にいて、そんなに大きな揺れだとは思わず、
家族と離ればなれになるようなこともなく、ケアをしなければならない子供もおらず、
地震後にも、輪番停電もまわってこなかったし、通勤で困ることもなかったし、
3月11日が「私にとって」特別な日として記憶に残っていないのです。
当日のことは、この記事に書いてあります。

もちろん、そのとき何していたかはよく覚えていますが、
それとて、地震の後はしばらくは、人と会えば「あのとき何していました?」と尋ね合うのが習慣になっていて、記憶がしっかり定着したからであって、それがなければ忘れてしまったのではないかとも思います。

2011年に「私にとって」特別な出来事なら、
突発性難聴にかかって大変だったこと(この辺りに書いています)や、
暮れに幼なじみの友人が亡くなったことです。

そして、その後、2012年の終わり頃には、また別の病気をして、そのまま現在に至り、
ここ日頃、私の興味は、だいたい自分の体調にばかり向いています。

というわけで前置きが長くなったけれど、
こうして多くの人々が、大きな災害にそれぞれ思いを馳せている日でも、
私の興味はつねに自分の体調のことにしか向きません。
3月11日は、
そのちまちました自分、
つねに「私」のことばかりに忙しく、他のことに思いを向ける余裕がないでくの坊ぶりが、
情けなくなる日と、なっているように思います。

そんな「私」にばかり忙しい私が、自分のblogを読み返して思うこと。

上にリンクを貼った「3月11日の私」という記事の中で、私は、
「どうか、一刻も早く平穏な毎日を迎えられますように。」と被害に遭った方に向けて書いています。

いろいろなことが混乱していたあの頃には、一刻も早く平穏が訪れることは大切だったでしょう。
しかし、3年が経って平穏が意味するものとは、
急性期の復興が進んで頭打ちになり、望む復興にまでたどりつかないうちに、
じぐじぐと前にも後ろにも進まない慢性的な厄難安定状態とはなっていないでしょうか。

混乱して次々と降りかかる難を逃れ、何とかやっていくのに精一杯なときには、むしろ、
「ここを乗り越えられたら」と、その先を想像することができます。
しかし、何とかなりつつも決してうまくいっているわけではない状態が安定して長く続いていると、
「いつか今を振り返ったとき、そんな時期もあったねえと話せる」ことが想像できない、
永遠にじわじわと沈み続ける、底なし沼の厄難に思えます。

3年が経過した今(それは1年でも2年でも同じだとは思いますが)、
平穏に安定した厄難が永遠に続くのではなく、「何かが変わる」と信じられますようにと私は祈っています。

posted by chiyo at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月05日

インプットとアウトプット

毎度おなじみ
ご無沙汰しております。

2012年、ぽんぽんと2号続けてメルマガの発行できたので、
お、こりゃあ今年はひょっとしていいペースで書けるかしらんと思っていたら、
またすっかり時間が経ってしまいました。

確か、前回のメルマガ、『しあわせの雨傘』を書いていたときだと思います。
なかなかうまいこと考えにまとまりがつかないし、
言葉が出てこなくて、原稿がちっとも進まなかったのです。
埒があかないから、ぷいっと原稿は放っておいて、しばらく寝かせておくことにしました。

で、ぜーんぜん関係ない本を読んでたら、急に、件の映画について言いたいこと、
こんなことを書いたらいいんじゃないか、ってなことが頭の中にあふれてきたんです。

「書けない書けない」と無理にひねり出そうとしても書けないもので、
何かべつのものを自分のなかに入れたら、いろんな思いが出てきたわけです。
思えばその前も、仕事で原稿を量産していて、何かをインプットするひまがなく、
ただただ時間に追われるままにひたすらひねり出してアウトプットを続けていたわけで、
そういうことをずっと続けていると、言葉もアイディアもすっかり出てこなくなるんでしょう。

ひねり出しても出てこないときには、なんでもいいから入れてみる。
できれば、ひねり出そうとするものにまるで関係なくても自分の好きなもの。
そんなことを思ったのでした。

なんて「創作のヒ・ミ・ツ」めいたことを言ってるわりには、
『しあわせの雨傘』は、結局あんまりうまく書けなかったなあとぐじぐじしてるのですが。


さてさて、
次にとりあげる予定の映画。
観たのはずいぶん前なので、果たしてちゃんと思いだして書けるかどうか、
自信がないのですが、
『君を想って海をゆく』
『ソフィアの夜明け』
この2作を準備中です。

『君を想って海をゆく』
恋人のいるイギリスまで英仏海峡を泳いで渡ろうというお話だから、
うーん、確かに君を想って海をゆく(犬じゃないですよ)けど、
そういう話だと思って観ると、もっともっと複雑で社会問題の絡むお話だし、うーん。
てな作品。

『ソフィアの夜明け』
ブルガリア映画ははじめてじゃないかしら。
都会に暮らす若者の閉塞感が画面からあふれる雰囲気は、
どこかでしばしば見かけたな、というのは否めないのだけれど、
観た後も、じんわりくる作品でした。

2作品とも、現代的なテーマである「国と国の交わり」が絡んでます。

いつ頃と告知はできませんが、
近いうちに、配信する予定です。



posted by chiyo at 20:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

予告でもしておかないと

お久しぶりです。

久しぶりにblogを書くと、たいてい、
最近メルマガ配信してなくてスイマセン、スイマセン。
blogでも音沙汰なくてスイマセン、スイマセン。

ではじまってマンネリを呼ぶんで、謝らないですよ。
なーんか、やることいっぱいで手が回らないんだもん、
しょーがないじゃん、へらへら。

11月の頭の方はそれほどいっぱいいっぱいでもなかったはずですが、
いつのまにか、大忙しな状態に突入して、なんでこうなっちゃったんでしょ。

メルマガで取り上げるつもりになってる作品が、2つたまってるんですよ。
1つは、前回のblogで、観るつもりと言ってた
『しあわせの雨傘』。
キャラクターのつくりかたが、ほどよく大げさで、
それが小気味よいコメディになってる、楽しい作品でした。

もう1つは、ギョーム・カネとエミール・クストリッツァが主演の
『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』。
クストリッツァは、自分の作品によくちらっと出演はしているけれど、
他の人の作品に主演?
とびっくりしながら観たら、けっこう普通に演技していました。
私が本来苦手な「実話にもとづいた」ってやつですが、
かなりのめりこんで観ました。
もともとはロシアの俳優が決まっていたところ、
事実にもとづいたスパイもの故、ロシアから横やりが入ったとかで、
ロシア人俳優が出演できなくなって、クストリッツァの出演が決まったらしいのです。
なぜそこでクストリッツァなのかはわかりませんが。
そのもとになったエピソードについて知りたいな、と思ったり
社会の体制を考えたり、いろいろひきずった作品でした。

この2つ取り上げて書いていく予定。
はやく取りかからないと忘れちゃいそうですね。
まあ、気長に待っていてくださるとうれしゅうございます、はい。

その他近況

吉祥寺シアターでの、
『ソウル市民五部作連続上映』で、
『ソウル市民』、『ソウル市民1919』、『サンパウロ市民』の3作品を観ました。
何気ない日常の会話のなかに、
ごく普通の人々にある脳天気な差別意識が見えてくる、
軽くて重いシリーズ。
ホントはあと2つコンプリートしたいのだけど、ちょっと難しいかな。

『サンパウロ市民』では、
作者の平田オリザさんと小説家の高橋源一郎さんのアフタートークも堪能しました。

吉祥寺シアターは我が家から自転車で15分くらいで行けて、
しかも劇場に自転車置き場があるという、素敵なところ。
ほんとに、ちょちょちょい、と行けるんだから、
早い段階からコンプリートする算段をつけておけば、とちょい後悔中です。
観劇は計画的に。

ほかには、近々、疲れてへろへろになってる状態だと思いますが、
三谷幸喜作『90ミニッツ』(西村雅彦/近藤芳正)を観る予定。

それでは、年内には前述の2作品をネタに書くつもりです。
「つもり」ですけどね。
よろしく〜!




posted by chiyo at 11:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

お久しぶりはいつも言い訳で

お久しぶりです。
またもや配信しないままずいぶんと時間が経ってしまいました。

最近の私は、そうですね、天候不順のせいか、仕事の気ぜわしさのせいか、
なんとなく落ち着かず、いつもにも増して動きの鈍い生活です。
だから、なんだか映画を観るよゆうもなく、blog更新するよゆうもなく、
だけども、そういうときは慌てず焦らず、
じっとして鋭気が戻ってくるのを待っていればよいかと。
そんなふうに言い訳を抱えている毎日です。
鋭気なんぞそもそも持っているのかい、てのは、なしですよ。

とはいえ、まあTwitterでものぞいていただければわかりますが、
毎日だいたい平和でうっかりで、おおむね元気です。

映画の話題も少し。
ちょっと前ですが、ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』を観ました。
スペインを舞台にした、不思議な雰囲気のある作品で、アメリカ映画なのですが、
そのこれでもかというスペイン風景ぶりに、メルマガで取り上げるのもいいかなー、
なんて思っていました。

ただ、ヨーロッパ映画ではないので、番外編っぽい扱いにもなり、
その後、また新しい号を出せないでいると、番外編がずっと最新号になってしまう。
それもよくないから、2号分用意できたら出そうかな、なんて思っているうちに、
時というのは無情に過ぎていくものです。

『リミッツ・オブ・コントロール』、総じて意味がわからない作品ですが、
緊張やサスペンデッドなイライラ(これらはそもそも意味も意義も背景もわからないものです)を眺める作品として、とても面白いと思いました。

今夜はテニスの全仏オープン、ナダル対フェデラーをWOWOWで観戦予定です。
てなわけで、新しいメルマガはまたもう少し先です。
忘れないでいてくだされば、うれしいです。

posted by chiyo at 21:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月22日

「デマ」と「パクリ」

3月11日の震災から10日以上。おもにTwitterでの印象だが、「デマ」がずいぶん話題になった。ある情報がぐわりと押し寄せて、「リツイート」で拡散されて、しばらくすると先ほどのはデマでしたという「リツイート」がやってくる。
そのパターンに慣れた今、「デマでした」の前に「デマじゃないの?」の流れさえもやってくる。

江頭2:50さんがトラックを運転して被災地に行ったという話など、「デマじゃなかったんだ。東スポに出てる」という平常時なら信じられないような根拠さえ提示される。
「デマが横行」の次には、流量の大きかった情報の「デマや否や」を検証することが、圧力としてTwitter利用者の上にのしかかっているかのようだ。

ある情報が相当量で流通した後やってくる「○○はデマ!」の大きな流れを見ていて「パクリ」を指摘する大きな流れ(これも主にTwitterだが)を見たときの感じと似ていると思った。

以前に「あるものがパクリであると判明したとき、人はなぜこんなにも一生懸命告発するのだろうか」と思い、それでblogを書こうとしたがうまくまとまらなくて断念したことがある。
「ある曲とある曲が似ている」「ある写真の構図が他の作品と酷似している」「賞をとった作品が2chのコピぺだった」などなど。どこかで公表されている作品が、他の何かの借用だった場合、私が見るに、わりといつも冷静な態度をとっている人でも、必死にその事実を皆に広めようとすることがある。
確かに、オリジナルのフリをしてオリジナルではないこと、本来ならば賞賛されるのはまねをされたオリジナルの方なのに、それが忘れられること。それは許すべきことではない。だが、まねした方でもされた方でもないならば、必ずしもまわりが騒ぐことではないとも言える。
にもかかわらず、「パクリ」は、多くの傍観者に「許せない、放っておけない」という正義感を呼び起こすようで、「パクった方」というのはかなり叩かれることになる。それは、その「パクった方」が金銭的な見返りも社会的賞賛も特に受けていない場合でも同様だ。

「○○はデマ」を広めようとする流れのなかにも「許せない、放っておけない」正義感が見える。デマの場合は、自分がリツイートで拡散に手を貸してしまったから、デマであればそれを明らかにする責任も強いからだろうとは思う。その点は少し違うが、デマであったとしても誰も得も損もしていないのではないか(デマではなかったらしいが上述の江頭さんの話はそんなところ)というものでも「デマは許せない」という空気はある。

パクリを告発する心境とデマを告発する心境が似ているのなら、その共通点は「人が騙されている状態をそのままにできない」ということだろうか。ウソがまかり通ることは、損得なしに、許せない感情がわくものなのだろう。まだ騙されていない人に向けても、こんな風に騙している人がいます、と教えてウソの逃げ場をなくそうとする。

「パクリ」には、ものを創造する人やその行為自体への敬意がプラスされてパワーになっているだろうし、「デマの検証」には上にも書いた正しい情報を流そうとする責任感がプラスされてパワーになるだろう。
だから、完全に類似の現象と言うつもりはないが、根底には「ウソを許さない」「騙されている人がいることを放置しない」思いが共通して流れているように思う。

posted by chiyo at 22:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月15日

3月11日の私


東北地方で大規模な地震が起きて、
たくさんの人が被害に遭われました。
私のメルマガやblogを読んでくださっている方のなかにも、
今、苦しい状況にある方がいらっしゃるのではないかと思います。
どうか、一刻も早く平穏な毎日を迎えられますように。

東京杉並に住む私は、自宅で物が落下したりはしましたが、
フリーランスで通勤がなく(東京では停電の影響で電車の運行が限られています)、
運よく今のところ停電の対象地域でもなく、ふつうの日常生活を送れています。


当日は、東京でもかなり大きく揺れましたが、
そのときいた場所によってずいぶん印象が違うようです。

地震が起きたとき、私は電車に乗っていて、
駅についたところで大きな揺れがきました。
車内は空いていて、物が倒れたり落ちたりすることもなかったせいか、
ずいぶんひどく揺れたなあとは思いましたが、
車内アナウンスで震度5だといわれて、「え、そんなに?」とびっくりしたくらい。

そのときのTwitterでの私のpostがこれ。↓

2:49 PM
すごい揺れてる

2:51 PM
電車の中それなりのパニック状態。もっと大きかったら、もっと混雑してたら。冷静な対処なんて難しいね。

2:52 PM
酔った

2:52 PM
また揺れてるわー。


ここで「パニック状態」と言ったのは、
慌てて出口めがけて突進した人がいたからで、
あいた座席がたくさんある車内だったから特に何ともないけれど、
満員電車だったら危険なことも起こりかねないと思ったから。

ただ、その突進した人というのは、
私の隣でかなり大きな声でおしゃべりをしていてうるさかった女性3人組(だけではないですが)。
私の中に多少冷ややかな目線があったと思います。
だから、あまり客観的な観察ではないように、今となっては思います。

何にせよこの時点では「もっと大きかったら」
と言っているくらいの印象だったわけです。

その後の「酔った」というのは
乗り物酔いしやすい性質の私が、
いつまでもゆらーんゆらーんとしていて酔ったようになった、ということ。

この日は携帯のメールはずいぶん遅延していて、Twitterの方がずっとつながりやすかったように思います。
Twitterでは自宅にいた私の夫と連絡をとりましたが、こんなやりとり。

古いマンションの7階にある家の状態を尋ねると写真付きで返信が。
20110311heya.jpg3:00 PM
別に怪我とかはないから大丈夫だけど、こんな感じ。



それに対し、いろいろ物が落ちたんだなと思いながらも、
そもそも床にいろいろなものが散らかっていることが珍しくないため、
8割冗談2割本気くらいで、

3:04 PM
こりゃあまた。普段とそんなに変わらないな。帰るわ。東松原なので1時間半くらいかかるかなあ。

と返信。
たぶん、ここでも二人の地震の印象はちょっと食い違っていたのかもしれません。


私は、この日、近所の税務署に確定申告の書類を提出した後、電車に乗って渋谷方面に向かっていました。
ある美術館に行ってから、どこかのカフェで仕事の資料を読もうと思ってたのです。

3:07 PM
京王線は全線止まってます。運転再開見込みは16時を予定。←井の頭線のことなのか京王線全体のことなのか不明。

と、誰かの役に立つかもしれないと、
鉄道会社のアナウンスをそのままTwitterにpostしました。

まだ地震の規模や被害を低く見積もっていたものの、
こういうときに電車が最初に言った時間に動かないことは何度か経験しているし、
電車移動なら最終的にはJRに乗らなければいけないのだけれど、
一般論として私鉄よりJRの方が復旧が遅いので、そのまま自宅まで歩く方が早いと判断して歩きはじめました。

ふだんから気分転換に4〜5キロ歩くことはよくあって、
歩くこと自体はそんなに大変なことではないんです。
ただ、体調を悪くして治りかけだったために、寒いところに長時間いるのがちょっと辛くて、
「夕方までどこかのあったかいカフェで資料読みして電車動いたころに帰ればよかったかも」と、
途中で弱気にもなりましたが、結局夜通し交通は混乱。
早めに帰る判断が当たりました。

なんて言ってると、まるで自分の判断が的確だったと鼻にかけてるように思われるかもしれないけれど、
カフェで長時間本を読んだり、ということが、もともとそんなに好きではないのです。
無駄に外にいるよりとっとと帰るのが日常の私です。

歩く道すがら、ふだんはガスのメーターを点検しているのであろう方々が、
マイコンメーターが止まった状態の家を1軒1軒まわって、ガス復旧の手順を説明するなど、
東京ガスの制服の人を何人か見かけました。
地震で人員を動員したというには早すぎるから、たまたま検針の途中だった人が注意していたのかな、と想像しますが、当たり前だけれど世の中いろいろな人がいろいろな仕事をしているんだなと思ったり。

家に帰ると、割れ物などは夫がすでに片づけてくれていたので、
いちばん大変なところはやらないで済んでしまいました。
体が冷えたからお風呂に入りたいなーなんて思ったけれど、
お風呂の三角コーナーがぶっ倒れてお風呂中物が散乱していたため断念。

テレビをみてはじめて本当に大きい地震だったのだとびっくりして、
お風呂に入ってる場合じゃないんだと確認。
そして、ちょっとのんびりすぎて人を苛立たせかねないTwitterへのpostを削除しました。
飲みかけの紅茶を机の上に放置して出かけたため、
こぼれた紅茶に汚染されてしまったあれやこれやを片づけて
(パソコンに被害がなかったことが何より! 机にカップを放置するクセを直すいい機会です)
散らばった本はどれが地震のせいでどれが元から落ちていた物かわからないので、
まあいいやってことにして……
そんなこんなで、地震当日の午後は過ぎていきました。

ちょうど仕事が忙しくない時期にあたったので、
どうしても移動する必要もなく、停電の対象地域にもあたらず、
気はどこかで焦るけれど、日常生活を送っていて元気です。
元気に平穏でいられる人は、まずはその平穏を続けることが仕事でしょう。

ここにこんなダラダラと文章を書いたのは、記憶が残っているうちに書いておくと、
後日(自分の)記録として役立つかな、と思ってのことです。
他の人には、今も後日も役には立たないでしょうから、心苦しさは否めませんが、
私は元気です、どうぞ皆さん無事でいて、と伝えるくらいの役には立つかと思っています。



posted by chiyo at 16:04| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

ろくでなし啄木

前回の記事で「昼間に時間があく」とそわそわしていた私ですが、
昼の打ち合わせで急遽取材をすることになるなど、予定が変わって、
結局、「どの映画を…」なんて迷う必要もなくなってしまいました。
まあそんなもんですね。待ち時間が長いのに、本を持っていなかったのが残念。

夜に観たのは三谷幸喜の新作芝居『ろくでなし啄木』@池袋は東京芸術劇場。
女にも金にもだらしがなく、子どもがそのまま大人になったような石川啄木を藤原竜也が演じ、
カフェで働く恋人「トミさん」を吹石一恵、
トミさんにフラれた過去があり二人を何かと世話するテキヤの「テツさん」を中村勘太郎が演ずるという芝居。
啄木が死んで10年。トミさんとテツさんが久しぶりに再会し、3人で過ごした温泉宿での一夜のことを回想する。
その夜に起こった事の真相とは……

物をつくる人間の苦悩と、イメージとギャップのある<器の小ささ>が、
哀しくおかしく描かれて心をつかれます。
あの夜の真相は? というミステリー仕立ても楽しい作りです。

ただ。
他の三谷の芝居と比べると、ミステリーに徹するにはクールさが足りないし、
できればもう少し笑いが多い方がいいかな、それに、
「物をつくる人間の苦悩」や「信頼と友情」ならば、
映画やドラマも含めて三谷が度々取り上げているテーマで、他の作品でのが肝が据わっているかなー、
というのも正直なところです。

値段分は楽しみましたけどね。

3人のなかで芸達者だな、と思わせるのは勘太郎です。声がお父さんにそっくり。
ミステリー仕立てのところもそれを連想させたのかもしれませんが、
藤原竜也演ずる啄木の、勘違いした全能感を抱えて周りの人間を操れると思う子供っぽさは
古畑任三郎シリーズで藤原竜也がやった犯人役のキャラクターによく似ていて、
それが三谷氏の俳優・藤原竜也のイメージなんでしょう。
吹石一恵は凛とした<美しさ>というより<かわいさ>がありました。
舞台で見る宮沢りえを思いだしました。どこが似ている、というわけでもないのですが。

今年は量産体制らしい三谷芝居。
次は1940年代のドイツを舞台にした『国民の映画』を観に行く予定です。



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2011年01月11日

魔法のような時間使い

なかなかメルマガを発行する時間がとれなかったり、
そもそも映画を観る時間がとれなかったりするもので、
そのほか、本が読めない、身体を動かしてない、などなど、いろいろあって、
「上手に時間を使いたい」ってのが、
最近の私のテーマというか懸念事項というか、
“いいネタあったら何か教えてくださいよ〜クイクイ”
みたいなものになっているわけです。

明日、昼過ぎの打ち合わせを終えると、
夜に予約してる芝居までに時間があくから、
水曜日でもあるし(1000円のとこが多い)、
午後から休みってことで映画でも観ちゃおうかと
『白いリボン』『クリスマス・ストーリー』など、
気になっている作品の上映時間を調べたのだけれど、
これがいまいち合わない。
4時間くらい時間はあくのですがねえ、むずかしいもんです。

そもそも、明日映画を観るためには、
今、時間を上手に使って仕事を進めないといけないわけで、
こんな計画を練ったところで、絵に描いた餅、机上の空論。

まあ、こんなところで、餅を描いて机上の空を切ってるより、
その場のいきおいで、目についた映画を観ちゃうとか、
もうちょっと行き当たりばったり、出たとこ勝負、臨機応変
の心がけがないと、上手な時間使いにはなれないのかもね、と
ため息をつく午後です。

素敵な時間使いへの道は厳し。


posted by chiyo at 16:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

風邪っぴきの生活改革

風邪っぴきでごんす。

寝込まないといけないほど高熱ってわけじゃない。でも寝た方がそりゃあ楽だしよくはなるだろうねえ。けど一晩寝たらすっきりというほど、ことは単純じゃない。ああ大人ってややこしい。

大人だし、自営業だし、風邪ひいたからと言って、だれも代わりに何かをやってくれるわけじゃなし。ちょっと気弱になってアタックNo.1のテーマ(のセリフ)も流れちゃうってもんです。

なんて日常は置いといて、ちっとも書いていない映画のメルマガ(の言い訳)ですね。

このあいだ、『ずっとあなたを愛してる』だったかなあ、そんな冬彦さんが出てきそうな感じの邦題のフランス映画を観ました。原題は Il y a longtemps que je t'aime 確か。風邪ゆえググる元気がないの、ごめんあそばせ。

長年刑務所にいた姉と彼女を引き取った妹家族の話。ラストの方で納得のいかない部分も少しあれど、不安や疑心が少しずつ溶けて、笑顔の増えていく様子がすてきな映画でした。次はこの映画を題材に書きたいと思っています。今月中には、きっと!(笑)

しかしねえ。

根がダラダラした性質なので、メリハリをつけるよりは、完全休みの日はなくっても常に仕事を抱えて毎日タラタラ少しずつ進めていく方がラクで、そうしてたんですが、こう仕事がエンドレスになってくると、仕事の進め方とか、一本書くのにかける時間とか、生活時間帯とか、抜本的に見直さないといけないかなーなんて、思ってます。
何しろ根がこんななので、すぐに見直そうにも面倒で、来年の課題にしましょうかね。

それでは皆さん、お身体お気をつけて。
posted by chiyo at 10:42| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

横暴な人の傍らにいあわせたなら

「子どもがうるさいので電車降りてくれませんか」と言って親子連れを電車から降ろした女性の話が話題になってるらしい。
http://youpouch.com/2010/08/31/110031/

細かい状況はわからないし、子供の騒ぎようも親の注意でなんとかなるレベルで、親子が明らかにマナー違反ということも可能性としては考えられる。
だけど、まあ、もとにTwitterに書き込んだ人が、女性の勝ち誇った顔に嫌悪感を持ったことから判断しても、この女性が横暴なんだろう。仮に本当にうるさいんだとしても、降りろというのは筋違いだ。

で、私がつい気になっちゃうのは、この横暴な女性のことじゃなくて、周りの人の中に「そんなの横暴だ」と、親子が降りるのをとどまらせようとした人はいないのかってことだ。
『いじめでは傍観してる人も「加害者」だ』て考え方は広まってるらしいけど、この場にいた口をつぐんだ大方の人は、どうなんだろう。

別に私は周りの人を責めてるんじゃない。たぶん私がその場にいたら「うわっ、めちゃくちゃなこと言う人だな」て思うけど、それを制止することも口出しすることはできなくて、きっと後からぐじぐじ悩むだろう。たぶん、Twitterで報告することくらいしかできない。

変なことをいう人、横暴な人はどこの世界にも一定数いるもので、そういう人の発生を食い止めるのは無理なことだと思う。世の中のもうちょっとまともな意識を持った人がそういう人をなんとかしてくことになる。それが機能しないと、声の大きい人、力の強い人に引きずられて世の中どんどん暴走する。
だから、たとえば泣く子どもは電車から降ろせと暴言を吐く人間がいても、その場で「そうじゃないでしょ」と意見する人が出てくる社会なら希望がある。

この女性が強い態度でそんなことを言えるのは、おそらく、「うるさい子供は通勤電車に乗せるな」という考えに<正義>があると思っているからであり、どうしてこの人はそんな考え方をしてしまうのか、は考える必要がある。
が、それ以上に考えた方がいいのは、無茶を言い出す人がいたら、「そうじゃないだろう」と、他人でもその現場でたしなめることのできる社会にはならないのか、てことじゃないかな。

難しい、ことだけどね。

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2010年08月12日

近況と見通しとその他映画と

ご無沙汰しております。
猛暑だったり台風襲来だったり、
心地よいお天気とはほど遠いここ東京ですが、
皆様のお住まいの地域はいかがでしょうか。

さて、あんまり更新していないと忘れられちゃっても寂しいので、
近況報告と、今後のメルマガ配信の見通しなんぞを。

最近の私、すーごく忙しいというわけでもないのですが、
映画を1本観て、何か書く、というまとまった時間がとれなくって困ってます。
なんて言いながら、サッカーを観に行ったり、舞城王太郎の新作を読んだりはしてます。
舞城の新作『獣の樹』は、まだ途中なんですが、
特別な生まれ方をした主人公が「社会性をもった人間」になる過程を追うのが楽しい小説です。
それ以外の要素もたくさんあって、
こう一言でまとめてしまうと、作品のイメージと全然違ってしまうと思いますが。

その他、今積んである本は
『小さいおうち』中島京子
『悪貨』島田雅彦
『4444』古川日出男
などなど。
ネット書店のカートに入れっぱなしの物が
『尼僧とキューピッドの弓』多和田葉子
『結婚失格』(文庫)枡野浩一
『period 4』吉野朔実
図書館に予約しているのが…、て、もういいですね。

私のペースで今年中に読み終わるでしょうか。

次回のメルマガに向けて、観たいなと思っている映画が、
倫敦(ロンドン)から来た男』。
サスペンスを観たい気分です。
作品情報を探すと、ヨーロッパというより、無国籍の雰囲気なのかな。
気に入ったら、もしくは、これで書きたいなと思ったら、
こちらの作品で、次回の配信をしたいと思います。
いつ頃になるかなー。来週中には配信したいけれど、
来週は外出の日も多くなるので、うーん。
ま、なるべく早めに考えております。


さて、このblog、一応映画のblogなので、
世相と映画をリンクさせた話題もひとつ。
昨今の、100歳以上のご老人の所在不明ニュースをみながら、
思い出したのが、カナダのケベック、フランス語圏の映画、
『大きなる休暇』
だいぶ前に観たので、うろ覚えなのですが、
漁業が衰退した小さな島が舞台。冬眠はほとんどが失業中。
そこへ、工場誘致の話が舞い込む。
しかし、誘致には「島に医師がいること」という条件が。
定住する医師を呼び込もうと、あの手この手、都会から招いた医師に、
島民みんなで島を暮らしやすい素敵なところにみせる大芝居を打つ。
そんな、ばれそうになっては必死にうそをとりつくろうシチュエーションコメディなんだけれど、
昨今のニュースに関連するのは、この作品の冒頭。
島民がほとんど失業保険で暮らしていて、
さらに死んだじいちゃん(だったかばあちゃんだったか両方だったか)の年金も毎月の大事な収入源になってるところ。
まずはここで観客の笑いを誘う、しっかりした「つかみ」になってます。
(ずいぶん昔に観たのでいろいろ勘違いしてるところはあるかもです。)
しかし、現実に起きてしまうと、笑い事にはならないもんだなー、と。

ケベックのフランス語圏映画といえば、『みなさん、さようなら』も好き。
他の作品はあまり知らないけれど、今度時間があったら何か探してみようかしら。

さて、そんなわけで、私の近況でした。
なるべく早く映画レビューは再会しますよー。
夏休み真っ最中の方も、休み、ナニソレ、な方も、
体を大事に、いい夏にしてください〜。


posted by chiyo at 13:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

一度去っていった習慣は

去っていった習慣はなかなか戻ってこない。
「去っていった」じゃあ他人事すぎるか。
自分で手放してしまった習慣は
もう一度その習慣を立ち上げ直さないと戻ってこない。

今年に入ってから、仕事が少しタイトで、
落ち着いて映画を観られない日々が続いていた。
ある程度まではムリしてでも時間を作っていたのだけれど、
どうにも時間がとれなくて、
「趣味で配信するメルマガでムリすることはない」と、
忙しい週には気軽に休むことにしていたんだが、
そうして休んでいるうちに、今や月1程度の配信しかしていない。

ぽつりぽつりとしか映画を観ない、レビューを書かない生活を送っているうちに、
「なるべく時間を作ってメルマガを配信しよう」
という習慣が薄れてしまったようなのだ。
習慣というのは実際に体を動かしてレギュラーの行動をするというのもそうだけれど、
「心を向ける」ということも習慣のうちに入る。

つまり、やることがちょっと減って時間ができたとき、
「メルマガを週1で書くぞ」という習慣を持続しているときならば、
まず最初に映画を観て書くことからやろうとする。
しかし、その習慣がなくなると
「時間をやりくりしてメルマガ配信する」ことに心が向かなくなって
(正確には心が向かないんじゃなくて、
優先順位が低くなって、心が向かうのが他のことをやってからになる、てこと)
つい、書かないで済んでしまう。

習慣ってこわいなあ。
興味がなくなったわけでもないし、
時間がたっぷりあればそんなことにはならないのだけど、
ついつい時間がなくって続かなくなっちゃうものって、
こうやってフェイドアウトしていくんだなー、というのを見る思い。

しかししかし、私はちゃんと抗おう。
体力はないし、意志も強いとはいえない私だが、
とても未練がましいので、ついついやれなくなっちゃうことを、
いつまででも恨みがましく覚え続けることには長けているのだ。

1週間くらいで仕事でやることが多い状態はおさまるだろう。(予定)
強敵ワールドカップというやつがのしかかっているので、
すぐに、習慣を取り戻して週刊発行するのは難しいけれど、
7月には映画やそのレビューを書くことに心を向ける生活を取り戻せると思う。

でも、一度手放すとまたその習慣を手に入れるのはどうも予想以上に難しいようだ。
だからちょっと覚悟して心して。

今後ともよろしく!

posted by chiyo at 17:48| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

健康第一の意味を噛みしめる。

風邪っぴきでありやす。
熱は出ません。鼻づまりと咳。
一度、咳き込み始めると、
人非人だって声をかけたくなるような、かわいそうな病人と相成りまする。
ごほっけんけんけん、ひゅー

「ちょっと体調悪いから静かにしてよ」ということは何度かあったものの、
こんな誰がどっから見ても風邪っぴきな状態は実に久しぶり。
年明けからずっと仕事が立て込んでいたため、
「ああ、もういっそのこと寝込んででも強制的に休めないものか」
なんて思ったバチがあたったらしいよ。
ごめんね、カミサマ、あれ、うそ。ちょっとした間違い。えへ。

1日寝込んですっきりとなるのなら、それもありかもしれないけれど、
粘着質にずるずると、いつまでもつきまとってくるから、困るのだね。
あと3日もすりゃあ、治るだろうと思ったのが、毎日毎日続いて1週間強。

もともと花粉症の時期、ひどくなると喘息のような症状で苦しむので、
アレルギー薬で抑えていたその症状が、風邪をきっかけに、
我が世の春とばかりに、どばっと出たのでしょう。
しかし、不便でありやすよ。

咳で体力を奪われるから疲れやすい。
駅で階段を使うと息が上がる。
においがわからないから物がおいしくない。
声がちゃんと出ないからお風呂で歌が歌えない。
歌えないと無理にでも歌いたくなる。
映画観たいのに映画館に行けない。咳き込むと邪魔になるからのう。
元シャーロキアンの私、ホームズ観たいよ。
飲みの誘いも断っちゃったじゃねーか。ああ、飲みたいのに。
正直、お酒飲んでもあまりおいしくないのさ。

しかし、しみじみ思います。
ああ、「健康第一」ってのはこのことだー。
毎日あっちが調子が悪い、こっちが調子が悪い、
やれだるい、やれ肩こり、ほれ冷え性とぶちぶち言っているけれど、
今の状態と比べたら、ホントに健康。
食べて歌って交わえる。
今までさんざくり返してきたように、
こんなことをきっとあたしはすぐに忘れちまうんでしょうが、
ちょっとここにメモしておきやしょう。
ふだんはそこそこ楽しく健康。それが持ってる小さな幸運だぞい。

天候不順の折、皆様、体調崩されませぬよう!

posted by chiyo at 17:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

次回予告なんてのを

『欧州映画紀行』の配信をお待ちの、
ソフィストケイテッドな皆さん、お元気でいらっしゃいますか。
配信が滞っていてごめんなさいね。

なかなか配信できないので、
忘れられないうちに、「乞う!ご期待。次回予告」なんぞを
やってみましょう。

次回は、劇場で観よう観ようと観そびれ、
さらにDVDが出た秋からなかなか観られないでいて、
最近になってやっと観ることの叶った
オリヴィエ・アサイヤス監督『夏時間の庭』で書く予定でおります。

オルセー美術館全面協力のこの作品、
登場する調度品や絵画がすばらしく、
邦題にもなっている庭も
「こんなところで一度食事したいなー」と美しい。
典型的な「お庭でお食事人間模様フランス映画」です。
(なんとなくありそでしょ? そんなジャンル)

ただこの映画、
子どものときに田舎のおばあちゃんちで過ごした思い出のように
(私にはそんな夏の家はありませんが)
美しかった、きれいだった、みんな笑ってた、
そんなことは頭に残っていても、具体的な思い出は、
時間が経つにつれてほろほろと手からこぼれるか、
全然別の物に置き換わってしまうんじゃないかと心配になる
繊細さにあふれている。
頭の中に置いておくうちに、記憶があやふやになってしまいそうなのです。

だからね、引っ込みつかなくなるように、
次回予告です。
次回は典型的な「庭の芝生に春の訪れを待ちかねるフランス映画」(あり?)
『夏時間の庭』で書く予定です。
しこたまのご期待、乞う!



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2010年03月06日

事物はふえると「量」になる

仕事がたてこんで、
いろんなことが横にうっちゃられている。
掃除、炊事、読書、映画、お散歩etc.

私は毎週、月曜日にスピリッツ、木曜日にモーニング(いずれもマンガ雑誌です)を
読んでいるんだけども、後で読もうと思っているうちに読みそびれ、
スピリッツは2週半(半分だけ読んだ号がある)モーニング2週分が溜まっている。
こう溜まると、もう「こなさないといけない仕事」と化していて、
全然楽しくなくなってくる。
録画した映画も溜まってくると、
さっさと観てハードディスクをあけないと、と
いつの間にか義務になっている。

困ったなと思いつつふと考えた。
仕事になっちゃうのは、「数」で表しはじめるときからだ。
モーニングが2冊たまっただとか、
映画がもう3本録り溜めて観てないだとか
(映画に関しては本当はもう数え切れないくらいいっぱい)、
その中身に思いを馳せずに量を問題にしはじめるときからだ。

それって、指標として覚えておいた方がいいかもな、と思う。

仕事でも、中身を考えながら、「あれをこの時間に書いて」と
スケジュールを思い浮かべているうちはいいけれど、
今抱えてるのが何本、とか数字で思い浮かべるようになると、
どこか身が入っていない(or心が入っていない?)状態だ。

何かのニュースでも、死者○○人、負傷者○○人、て
「量」の情報になったとき、具体性が見えなくなる。

あ、もちろん数字や量で把握することが要らんというわけじゃなくて。
「量」で把握しはじめたら、ちょっと立ち止まった方がいいぞ、と。

そんなわけで、原稿2本を今夜中にやらないと、
土日にやるべき原稿2本が追いつかなくなってしまう私は、
仕事に戻るのであった。
ありゃりゃ身も心も入れなくっちゃだね。
posted by chiyo at 01:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月23日

疲れた私とネットの関係

19日の土曜日、3日くらい睡眠不足が続いた後、たてこんでいた仕事が一段落して、「これは一度休まないといけないぞ」と意を決し(笑)、目覚ましを止めて寝たいだけ寝てベッドでだらだら本を読んで、夕方のそのそ起き出して、そんな1日を送ったのです。

自分でも疲れがたまっていることを認識していたので、強制的にでも心身を休ませないと、と選択した方法は、パソコンの電源OFF、ネットには接続しない、iPhoneも電波を拾わない機内モードにする。固定電話のベルは鳴らさない。つまり外の世界から/へのアクセスをなくしてしまうことでした。

たまにやるんです、これ。年に2、3回。絶対に休むぞ、という日はネットにつながない。
でも改めて自分のことを考えるとこれって変。
だって、確かに仕事をするときにはネットが必要だし、パソコンに向かってるのは仕事してる姿といえるけれど、仕事時間のかなりの時間は気晴らしや楽しみのついでのネット散策に充てられているし、ツイッターでタイムラインを見たり、つぶやくのも息抜きでやっていること。

仕事以外の文章を書くのも楽しくてやっていて、休める日に映画や本の情報を集めることだってあり、決してネット=仕事ではないはずです。
実際、ネットを遮断しているときも、何かを検索したくなってうずうずして「がまんがまん」て言い聞かせていたりするんですから。


それでも、「どうしても休まなくっちゃ」というときは、ネットから離れるのが必須だと、私は反射的に思うみたいなんですね。
それはアナログがよくてデジタルは疲れるとかいうことではなくて、単純に、外とのアクセスから自分を隔離することが、疲れから回復するために必要だと、そう考えているらしいのです。
といったって、本を読むことだって外とのアクセスには違いないんだけれど、リアルタイムなアクセス、とでもいいましょうかね。

本当にそれが効き目があるのか、わかりませんが、象徴的に「リフレッシュした」感は得られます。疲れたときにこそ、人は己の本質を見る。私の場合は端的に言えば「とにかくほっといてくれ」? 
ま、そんなたいした話じゃありませんが。
posted by chiyo at 01:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

欲望は溶かしてしまえ除夜の鐘?

カラダの調子が いまいちで
とまれとにかく 寝てようと
横になりながら つらつらに
物考えていたら いつのまに
めそめそめそめそ あああたし
なんでこんなトコで 寝てるんだ
やりたいやること たんまりで
浮き世の義理も まだのこる
カラダが動かぬ くやしさに
めそめそめそめそ しているか
いやいや日々を せわしなく
生きるときには それはそれ
やりたいやること 思うほど
できずにいつも うらめしい
それなら重い このカラダ
うらめし日々の おんねんが
つみ重なる由の 鈍重か
ならば無念を はらすため
白日にさらせ そのおもい


七五調で語るのも疲れたので、断念。
やろうと思いつつできないことやら
やりたいことやら、ここに羅列して
たまった怨念をなだめようと思います。

blogでやりたいことを書くときにゃ、
次の目標の掲示であったり、To Do List のかわりであったり、
前向きなことが多いようですが、ご注意を。
ここでは、ただただ、
いろいろたまった心残りを書きつけて
明日の除夜の鐘で煩悩と共に溶かしちまおうと、
そんな算段です。

・今年はメルマガをさっぱり書けなかったよ
・書く以前に観た映画の本数が激減だ
・DVDやらシネフィルイマジカの番組やらもっと観たいし、映画館にも行きたい、きゅーぅ
・映画祭で未公開作品もあさりたいね
・週1の配信ペースは守ろう、おー!
・観ないのに録画だけするのはやめようね

・積ん読がさっぱり減らなかったなあ
・「お、これ読みたい」と思ったら、次の日にはページを繰ってるようなバイタリティがほしい
・モーニングとスピリッツを読み切れずに溜め込むのはやめたいにゃ
・読んだもののことをもちっと文章にのこしときたいね

・ぜんぜんカラダ動かしてない
・泳いだり、自転車乗ったり、もっとしたい!
・おっと、クライミングジム通いもちゃんとしたいぜ
・こないだ買った鍵ハモでまだあんまり遊べてないぞ
・そしてオタマトーンも放ったらかしじゃん

・部屋が汚いよ
・多少汚い方が落ち着くほうだけど、これじゃ生活しにくくってしょーがないや
・せめて、「ほんっとに汚ねーな」と思われながらも誰かを呼べる程度に!
・年賀状ならもちろんまだ書いてない
・あの人とあの人とあの人と、ああ、いろんなお方にメールとかごあいさつを!
・フランス語を勉強してますとか、言いづらくなったなあ
・毎日9時間寝たい
・それは無理なので7時間ちょっとくらいでもいい

・酔っぱらいたいなあ
・酔っぱらってニコニコと誰かにぐさっと言葉をさしたい
・いや、後で困りそうなのでやめとく
・もうちっとテキパキしたい、当社比でかまわん
・たまにはマトモに料理した方がいいだろうとは思う
・2,3日でいいからどっかに遠出したいねえ
・明日はもう少しよい風になるよと心から信じたい
・誰かにそれを伝えてその人も信じてくれたら、嬉しい



今年1年、ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします、ね!

posted by chiyo at 22:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

聖夜に自分の生活を反省してみた

フリーランスで働いていると、
「OnとOffの区別つけるの大変でしょ、どうしてるの?」
なんて聞かれることあります。

はーい、素敵なライフハックでも披露したいとこですが、
すみません、答えは「そんなものつけてません」です。
ホントは区別をつける方がいいには決まっていますが、
それを考えはじめると、「On/Offの区別がついていないこと」に
イライラしてしまうから、最初からつけない方が、
私には向いているみたいです。

夜遅くなった翌日は、裁量でちょっと朝寝坊、パジャマで仕事、
睡魔がやってきたらデスクの隣のベッドで仮眠、
基本はつねにOff、必要なときにちょっと気分をOnにする。
映画や芝居はすいてる平日に。仕事をやりきれなきゃ芝居がはねた深夜に取り戻せ。
取材で疲れた日には早々に切り上げて、土日でゆっくり進める。
かくして、「完全に休みの日」がなくなっていく。
旅行する趣味はそんなにないし、
休みでも部屋に籠もってるのが好きだからいいんです。

ただ、そういうぬるーいことをやっていると、
いざ、この日に必ずこれをしよう、て思ってもできなくって困ります。
誰かと食事の約束をしたとか、このコンサートにはどうしても行きたいとか、
そのために時間を作ることには、ある程度、頑張れますよ。
しかーし、
クリスマスだ大掃除だ年越しそばだ年賀状だおせちだ年始回りだ
暮れから正月は、どうも苦手だと思ったら、
カレンダーに自分を合わせないといけないことが多すぎる。
日付に合わせた行事をしていないと、
なんだか悪いことか寂しいことをやっているように思える
クリスマス・イブ。私は胸をチクチクさせながらマイペース
仕事すすまなーい、と言いながらこうしてblogを更新しています。

On/Off区別なく、だらりと日々を日常に溶かしていると、
けじめとか、気を引き締めるってところから遠ざかります。
苦手だけれど、節目として日付に意味を持たせることも、
年に一度くらい、必要でしょうね。ちょっと反省。

そんなわけで皆様、
メリー、メリー、クリスマス。
いろんな過ごし方あれど、いつかこの日を笑顔で振り返るような夜にならんことを!



posted by chiyo at 17:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月30日

またもや配信が乱れるそのワケは

あらあら、気づいたら、
またもやメルマガ配信予定日が、過去へ過去へと
どんどん遠ざかっていく。

毎週木曜に発行予定ではいますが、
しばらくは、時間ができたときに急に出る、
てなペースになると思います。

忙しい、というのとは違うのですが、
慣れていないこととか、ふだんは他の人がやってくれることを
やらないといけないとか、そんなことが重なって、
時間の読みが効かなかったり、
生活ペースが握れなかったり、と、そのようなこの頃です。

そうして、書く時間がない、書きたいのに暮らしがままならん、
なーんて、もどかしい時こそ、言葉は絞り出されてくるはず!
と信じて、ま、近いうちに書くと思います。

よろしく!

posted by chiyo at 10:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする