2011年09月24日

No.243 クリーン

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欧 州 映 画 紀 行
               No.243   11.09.24配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 寛容は得難く、抱き難く、だけどやっぱり必要 ★

作品はこちら
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タイトル:『クリーン』
製作:フランス・カナダ・イギリス/2004年
原題:Clean 

監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス(Olivier Assayas)
出演:マギー・チャン、ニック・ノルティ、ベアトリス・ダル、
   ジャンヌ・バリバール、ジェームズ・デニス
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■STORY&COMMENT
ロック歌手のリーを夫にもつエミリー。リーの活躍が芳しくないのは、ヤク中
の妻がいるせいだと周囲から批判され、荒れていた。そんな折、リーが薬物の
多量摂取で命を落とし、エミリーは薬物所持で逮捕、半年の刑務所生活に。夫
も仕事もなくしての再出発。リーの両親に預けている息子のジェイに会うため
に、生活を変えることを決心するが……

ちょっと不思議な映画だった。
「エミリーに同情させるためのしかけ」がさっぱりないんだな。

観客は冒頭で、あんまり趣味のよくないメイクのエミリーに出会い、リーのマ
ネジャーや仲間が「あの女といっしょじゃリーはだめだ」と話しているのを聞
く。それが本当のことなのか、むしろ周りのやっかみや無理解なのか、わから
ない。やむを得ない事情があったのか、それもわからない。
周りは、リーの死はエミリーのせいだと思う。観客は、口論の後、エミリーが
モーテルを飛び出して不在中にリーが死んだことは知っているけれど、それが
間接的にどの程度にエミリーに責任があることなのか、判断できない。
才能あるミュージシャンをつぶしたロクでもない女だと言われれば、そうなん
じゃないかと思う。

こういう話の場合、ふつうは、エクスキューズがつく。
いや、周りはこう言ってるけれど、エミリーには実はもっと辛い事情があって
ね、過去にこんなことがあってね。など。
そういうものは一切ない。
リーと出会う前、エミリーはパリでケーブルTVの音楽番組に出演して人気者だっ
たらしい。刑務所を出た後にエミリーが移り住むパリでの旧友との会話から、
それはわかる。しかし、情状酌量の余地をもたらす過去も、周りの知らない特
別な事情も、提示されない。

リーの両親のもとにいるジェイに会いたいからと、クスリ(この場合は麻薬で
はないのか、処方せんを偽造すると手に入るクスリらしい)をやめようと思う
けれどもなかなかやめられず、親戚に世話されたウエイトレスの仕事は態度が
悪くてクビ。彼女のファッションセンスからは考えられないような地味な服の
売り子の仕事にありつくも、「刑務所みたい」と文句ばかり。
こと日本人の感覚だと、ここで地味な仕事でも心を入れ替えて励んで「地味で
真っ当な人生」を選ぶ姿にほだされたりするのが定番だったりするんだけども、
エミリーにはそういう傾向がさっぱりない。

作り手はそうやってエミリーを見せたりもしないし、そういうエミリーに同情
してもらおうともしない。わざとなのか、ふつうの感覚で作るとそうなったの
か、それとも本当はそういうしかけはあるのに、私が気づいていないだけなの
か。
たぶん、「わがままで地道な努力をする様子のないエミリーにイライラしてまっ
たく感情移入できなかった」という人も多いんじゃないかと思う。

それでもね、「リーにそばにいてほしい」とふいに泣きじゃくる姿や、ジェイ
に会いたくて慣れない頼み事をする姿に、私は涙が出てしまうことが何度かあっ
た。

たぶん、こういうことだ。
やむを得ない事情があったから、ほんとは彼女はしっかりしてるから、自分に
合わない仕事でもがまんしてやったから。
そういう条件付きで救済されるんじゃない。弱いしなんかいろいろ呆れるほど
ダメだし、わがままだし、だけどそれでも人は認められていいんだ。そういう
寛容がきっと必要なのだ。

寛容にならないといけないな、と思うと同時に、弱くてなんかホントにいろい
ろダメで自分勝手な人間の一人として、弱くてダメでも私は希望を持って生き
てもいいのかもしれないと、励まされた。きっと私はいろんな寛容に支えられ
てきて、きっとこれからも寛容に助けられるだろう、と都合よくね。

この寛容を具現化する存在として出てくるのがリーの父。あのお父さんがいな
かったらどうにもならなかったなあ、とちょっと都合よく「いい人物」過ぎる
気もしたけど、効いている存在だった。

書ききれなかったけれど、カナダ、ロンドン、パリ、移り変わる町の風景を眺
めるのも楽しい作品。

■COLUMN
何かのきっかけがあったかなかったか、最近ふと思ったこと「世の中をよくす
るには『ググれボケ』をなくさなきゃ」。
「よい世の中」て何だよ、とそんな定義も必要だというのはごもっともな指摘
だろうけど、そこはちょっと置いといて。
一応説明すると「ググる」というのは、「グーグルで検索する」を短くした言
葉で、グーグルに限らずインターネットで検索して調べるということ。自分で
ちょっと検索すればわかることを他人に聞くな、と、何でも人に尋ねる人に投
げつける言葉として「ググれボケ」とか「ググれカス」とかいう表現がある。

確かに、ちょっと調べればすぐわかることをすぐに人に聞く人(しかもインター
ネットにつながっている)を見ると私もなんでだろうなあ、と思っていたし、
実際いろいろ尋ねられて、その尋ねられたことを全部ググって答えているとき
なんかは、そっちでググればいいじゃん、と閉口したこともある。
でもここ最近、「まずは自分でググる」がまるで普遍的なマナーのように定着
するのを見ると、ボケだのカスだのがつかなくても、「ググれ」なんてケチな
こと言わないで教えてあげればいいのに、と思うようになった。

ちょっとした調べ物を全部丸投げしてくる人や、何度も教えたことを何度も聞
いてくるどうしようもない人もいるだろう。人間関係のある職場というものを
持たない私には計り知れないような苦労をしている人もいるのだろう。
でもね、「ググれ」も「ググろう」も、なるべく言う(思う)頻度を減らして
いくほうがいいと思うのだ。

知らないことはべつに悪いことじゃないし、「いまさら聞けない」みないな恥
ずかしさは、本来はなくてもいいことだ。知らないことを知りたいと思う人が
いたら、知っている人、調べる術を持っている人は、ちょっと時間と労力を使っ
て教えたらいいじゃないか。「ググれ」「ググろう」「ググったら?」どんな
表現を選んでもこれは一種の関係の拒絶だ。自分が知らないことを自分で調べ
ない弱さや怠惰を嘲笑して拒絶するよりも、そこは寛容に受け入れて、調べる
能力を持っている人は、そのチカラをちょっとだけ分けてあげたらいい。少な
くとも、そこには小さいけれどある関係ができる。誰かとのあいだにつながり
ができる。拒絶を重ねるよりも関係を重ねて、持ってるチカラを分け合える方
が、世の中はよくなると思う。

受け入れる方はちょっとしんどいところもあると思う。自分のキャパシティを
超えて寛容を発揮する必要はまったくないけれど、弱いことにも怠惰なことに
も自分勝手も、ある程度は受け入れようよ。
弱くて怠惰でなんかいろいろダメな私のわがままみたいなモンでもあるけれど、
みんなそんなに偉かあないんだから、お互いに寛容に受け入れて、受け入れら
れての方がいいことがあるよ。きっと。


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編集・発行:あんどうちよ
筆者について http://oushueiga.net/about.html
twitter: http://twitter.com/chiyo_a

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Copyright(C)2004-2011 Chiyo ANDO

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2011年08月19日

雨の日の音

雨の日は音数(おとかず)が増える。
なんのこっちゃいとお思いでしょうが、
雨の日、というより、雨が降りそうなとき、の方が近いかなあ。
ふだんは聞こえないちょっと遠くの電車の音やアナウンスが聞こえたりしませんか。

たぶん気圧の関係で、音の伝わり方が変わって、
少し遠くの音が伝わりやすくなるんだと思うのですが、
専門的なことはよく知らないし、今は調べるのもめんどい。
雨の日はそんなわけで、聞こえてくる音がいつもよりちょっと増える気がするんです。
雨が降ってしまうと雨音がするから、それでかき消されてしまうところもありますけれど。

少し前にここに載せた突発性難聴の話の中で、
治りかけの頃からはじまった「リクルートメント現象」のことを書きました。
弱っている周波数の音が聞こえた場合にやたら大きく感じてしまう症状です。

かなりよくなってきて、たとえば、以前に書いた、レジ袋のガサガサ言う音は今では平気だし、
音をうるさく感じることがあっても、いちいちいろいろな音にびくっと驚くことはほとんどありません。
でもやっぱり音に過敏になっていること自体は続いていて、
今日のような雨の日には、1行目のように思うのです。

音の数が増える分、私の耳のなかで増幅される音も増える。
思いっきり直毛の私は、雨の日に髪がクルクルするなんて言う人が
ちょっとうらやましかったりするのですが、
「雨の日は音数が増えちゃって困るわ〜」なんて言ってみようかしら。


追伸
今残っている、二大「聞くと辛い音」
・食器のカチャカチャ言う音
・音楽

音楽って、それこそ「音数が多い」最たるものと改めて認識。
楽器1本のものなら比較的大丈夫だけれど、
大雑把に言って、音楽全般を聞くことのできない状態。
ということは、映画も観られない状態。
音楽の鳴らないものなら、大丈夫なんだけれど。
(でも銃撃戦やら効果音を増幅させてるようなのはいやかな)
そんなわけで、新しい映画レビューはもう少し先になりそうです。
ごめんなさいね。

posted by chiyo at 12:22| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 難聴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

女子サッカーの映画といえば

なでしこジャパン、優勝おめでとうございます。
女子サッカーの映画といえば、『ベッカムに恋して』。
て、まあ、ほかに知らないだけなのですが。

7年前にメルマガで書いた『ベッカムに恋して』のレビューを
お、タイムリー♪とばかりにひっぱり出してみました。
「なでしこジャパン」という愛称がつけられたちょうどその頃か、
その直前か、女子サッカーについてもちょっと触れています。

まだメルマガをはじめたばかりの第4回で、なんだかういういしいですね。
てことはないか。
(2004年6月3日配信の記事)

↓↓↓

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*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
           No.004
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
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フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ 人生を切り拓く ++


作品はこちら
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タイトル:「ベッカムに恋して」
制作国:イギリス・アメリカ・ドイツ/2002年
原題:Bend It Like Beckham
監督・製作・共同脚本:グリンダ・チャーダ
出演:パーミンダ・ナーグラ キーラ・ナイトレイ
    ジョナサン・リース=マイヤーズ
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■STORY
インド系イギリス人のジェスは、ベッカムとサッカーが大好き。彼のようにな
りたいと、男の子たちに混じって草サッカーに明け暮れる毎日だ。しかし彼女
の家庭はインドの伝統と風習を守る家。女の子がスポーツをするなんて、しか
も足をむき出しにしてサッカーなんて絶対に許してもらえない。

ある日地元の女子サッカーチームのエースストライカー、ジョールズが、公園
での彼女のサッカー姿を見て、ぜひチームにきてほしいとジェスに頼む。自分
が本当にチームでプレイできるのかと、なかなか信じられずにいる彼女だが、
練習に参加してみることに。コーチのジョーにも認められ、彼女は本格的にプ
レイヤーとしての道を歩むこととなった。アメリカではプロリーグもあるとい
う。

サッカー選手として生きていく夢を持ち始めたジェスだが、難しいのは両親の
反対だ。練習にも試合にも、何か口実をつくって出かけなければならない。バ
イトに行くことにしたり、仮病を使って一人家に残ったり、必死に隠してサッ
カーを続けるのだが、そんな隠蔽工作も長くは続かない。
彼女の夢ははたして叶えられるのか……

■COMMENT
注意:ベッカムに恋はしない。ジェスが恋するのはコーチのジョー。親友・
ジョールズとの三角関係に悩む場面もある。

厳格な家庭で、自分のやりたいことをやれない。よくある話である。はじめは
対岸の火事で眺めてしまうのだ。インドの風習ってのは大変だなー、短パンも
許してもらえないのか、気の毒にと。しかし、物語が進むと、ちっとも他人事
ではないことに気づく。サッカーを反対されているのは、白人ジョールズも同
じ。父親は理解があるものの、母親はもっと女らしくして欲しいと言い、女子
選手のポスターをぺたぺた貼って、もしやレズビアン? なんて思っている。

きっと世間では格闘技とか、トラックの運ちゃんとか、「えー、女の子なのに
?」と言われるものがたくさんある。男女の区別なく、好きなことやったらい
いじゃないか、と本気で思うけれど、親の反対にあったと言われれば、そうだ
ろうな、と納得してしまうだろう。納得する辺り、親御さんと世間体を共有し
ているのだ。
そういう世間体を持ちながら、インドの伝統は大変だー、とインドのせいにす
るのも十分偏見に満ちている、かもしれない。

差別や偏見は「女の子がサッカーをすること」だけじゃない。白人の移民に対
する偏見、逆にインド系住民のイギリス社会への偏見、ゲイへの偏見。ジェス
の父は、クリケットの選手だったけれど、インド系だからプロになれなかった。
ジョーはアイリッシュで肩身が狭いし、女子チームのコーチなんてまともな職
業と認められない。男子チームのコーチに「昇格」させてやるって、話も飛び
込んでくる。

差別・偏見について書いたけれど、別にそれがメインのテーマの重い映画では
ない。日常のどこにでもある偏見を、うまくスパイスにして、壁にぶつかった
主人公たちが、自分の人生を切り拓く様子を清々しく描いている。

ジョーはジェスに「自分の人生だろ」と両親のいいなりにならずにサッカーを
続けることを勧めるけれど、ジェスにとっては両親が喜んでくれたり、両親に
祝福されることも「自分の人生」なわけで。自分の願いだけを見つめても、自
分の人生を考えたことにはならない。まわりの幸せも考えてこその自分の人生。
そんな揺れる心がうまく表れていたと思う。

惜しむらくは、サッカーシーン。足下や、ピッチの選手の動作を多く映して、
サッカーっぽさを出していたことはわかる。シュートが入る映像を「網にボー
ルがつきささる」画で表現したところなんかとてもそれっぽい。女優たちもト
レーニングをかなり受けたのだろう。ただ、原題(“Bend it like Beckham”)
通り、「曲げてきたー(絶叫)」みたいなボールの軌道もきれいに見せて欲し
かった。映像としてのサッカーらしさというのは、激しい動きだけで表現され
るものじゃない、と思う。

でも、まあ、それは小さな事。スポーツする女性のきれいさ、さわやかさは試
合中の映像が伝えてくれる。少しはらはらして、あとはすっきり元気になりた
い人におすすめ。

■COLUMN
女子サッカーの日本代表が、北朝鮮を破ってアテネの出場を決めたとき、私は
その場にいた。女子サッカーを少しでもメジャーなものにすべく、サッカー協
会がPRにかなり力を入れているようで、「やべっちFC」というサッカー番
組に応募したら、観戦チケットをくれたのだ。
前に女子の代表を見たのは、男子の日本代表の試合の前座だった。昼前から女
子の試合を見に来ている人が、そうたくさんいるものでもなく、スタジアムは
閑散としていた。それから何年も経っているが、その女子の試合のため、夜の
国立競技場に次々と人が押し寄せてくる様子は、時代の流れを感じさせてくれ
て壮観だった。

サッカーをする小学生の女の子は相当数いるらしい。しかし、中学校にはいる
と、学校に女子サッカー部が少ないことなどが影響し、ガクンと競技人口が減
るのだという。そこのところの落ち込みをなんとかするのがサッカー協会の課
題。マスコミでの露出が増え、サッカーっていいな、と皆が思ってくれればサッ
カーを続ける子も、新たにやりたいという子も多く生まれるかもしれない。
中学校に部活がないことからも、今までの世の中で、女の子がサッカーをやる
ことは、あんまり期待されていなかったことがわかる。思春期の頃は人の評価
に敏感だから、泥だらけになってボールを追い回す自分を好きになれない娘た
ちも多いだろう。

現在の女子チームを率いる上田監督も、女子代表の監督を打診されたときには、
「女子なんかより男子の強化が先だろう」と思ったのだそうで、最初は女子の
監督就任が「降格」に映ったのかもしれない。その思いも初日ミーティングで
の選手たちの真剣なまなざしに、うち崩された、というが、こんな身近な人に
も世間の偏見がしのびこんでいた。
選手たち自身も、その中でサッカーをやり続けるのには、難しい場面にたくさ
ん出会ったのだと思う。今度のオリンピックで、強く美しい姿を見せつけて、
偏見を吹っ飛ばせればいいのだが。

ジェスたちが憧れたアメリカのプロリーグは解散してしまった。競技する人だ
けががんばっても続かない。女子サッカーを応援するなら「感動をありがとう!」
とたやすく感動だけもらわずに、感動をくれた人たちのその後にも注目していく
観客の覚悟も必要。自戒をこめて。


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転載には許可が必要です。

編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004 Chiyo ANDO

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posted by chiyo at 11:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 3

突発性難聴の話、3回目、今回で最終回です。(ちなみに、→1回目、→2回目

さて、発症してから12日目くらい、閉塞感が和らいだかな、と思うときがありました。その翌日、聴力検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツのあたりがだいぶ盛り返していました。いちばん落ちている2000ヘルツはまだ落ちたままでしたが、閉塞感はより低い方の音に関係するせいだろうとドクター。
ここを境にぐーんと回復は進み、さらに3日後の検査では2000ヘルツもずいぶん聞こえるようになりました。音がキンキン響いてツラいのも、左右で音の高さが違うことも収束してきました。

その辺りからです。「世の中ってこんなにうるさかったっけ?」と感じるようになったのです。
世の中のBGMの音が大きい。お皿をガチャガチャする音が大きい。たまたま喫茶店で隣に座ったおばさまの実にどうでもよい会話が勝手に耳に入ってくるなんてうるさい。

「会話が耳に入ってうるさい」というのは、2週間以上、街で他人の会話がふいに耳に入ることが少ない状態に置かれていたら、どうもそれに慣れきっていたみたいなのです。
自分に関係のない話がしじゅう聞こえる状態というのは、どうもストレスのようです。だから、他人の会話が飛び込んでこない状態は、自分にとって都合がよくて、すっかりラクになっていたのでしょう。
街でふいに人の会話が飛び込んでくること、疲れるなあと思ったことはありませんか?

そしてまた3日経って検査をすると、500ヘルツ、1000ヘルツはまったく正常な状態、2000ヘルツが少し、4000ヘルツがほんの少し、聞こえが悪いけれど、それは「目標達成」の状態とのこと。無事「治った」わけです。

ただ、少しだけ聞こえの悪いこの周波数がくせ者。リクルートメント現象(聴覚補充現象)といって、聞こえの悪い音を聞き取った場合に、ものすごく大きな音に感じ、耳に刺激を感じてしまう症状があるそうです。

どうもわたしにはこの現象が起きるようで、レジ袋やプラスチックの容れ物ががしゃがしゃいう音、紙を破ったり新聞をめくったり真っ直ぐするためにぺりぺり言わす音、食器がぶつかる音などなどが、とても大きく聞こえます。世の中の音が大きいと感じたのは、このせいなのかもしれません。
カフェで隣の隣くらいでパンを袋から出す音が、すぐ耳元でカシャカシャやられたような気がしたり、図書館で新聞をめくる音に驚いたり。おおげさな演技のように、肩をふるわせて「びくっ」としちゃうんです。

家でもうるさい音は気になりますが、予想の範囲の音しか聞こえてこないので、そんなに困ることはありません。だけれど、外の世界はいろんな音に満ちていて、ふいに「びくっ」とさせられること多数。聞こえが悪くなっている2000ヘルツ〜4000ヘルツあたりの音が、「補充」されて不自然に大きく聞こえるようなのです。

わたしが敏感になるのは、そのうまく聞こえない周波数を含んだ音まわりのことだから、ずいぶん部分的な感じ方しかしていないのでしょう。
それでも世の中にこんなに音があふれていて、意外な物が意外に音を立てることに気づきました。新聞をめくるときにぺりぺり音が鳴ることなんて気に留めたこともありませんでしたからね。

病気はもうしたくないけれど、前回前々回に書いた言葉の聞き取り方や左右での音の聞こえ方の違いを含めて、「世の中の音」を考える、いい機会になったなあ、なんて考えています。

ところで、今日現在はどうかというと、家にいる限りは、ほぼ不都合なく過ごせます。外に行くと、ふいに音にビクリとすること、「音がうるさい、聞くのが疲れる」と思うことがまだあります。
でも、2週間前より1週間前、1週間前より今日の方が、ラクにはなっているような気がします。
これを「後遺症」と呼んでしまうと果てなくついてまわりそうな気がするから、わたしは今もゆっくりと回復途中なのだ、と思うようにしています。


<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。



posted by chiyo at 18:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 難聴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 2

さて、前回から続いて突発性難聴の話です。

治療をはじめて10日くらいは、回復の気配がなく同じ症状であったことは書きました。
難聴というのは読んで字のごとく、聞こえが悪くなる病気。ただし聞こえづらいことは不便ですが、片耳はふつうに聞こえて、悪い方の耳もまったく聞こえないわけではありません。わたしにとって不快な症状というのは、聞こえないことそれ自体より、耳の中で音がキンキン響いたり、耳鳴りがうるさかったりすることでした。

たとえば、人の声や音楽が、反響するように耳の中で響く。テレビがついているとキンキンするし、お店に入ってかかっている音楽の音が大きいと耳に響きます。左耳と右耳で聞こえ方が違うせいか、人の話し声、特に女性の声は二重に聞こえたりします。

それと、自分で物を噛む音がかなりキンキン響きます。外の世界の音は工夫しだいで遮断できても、自分の中から出る音はどうやっても遮断できません。生きるって難しいもんです(笑)。
お漬け物なんてまったくだめでした。お漬け物がだめなことは、おそらく想像の範囲内だと思いますが、繊維をかみ切る音というのがかなり響いて、ブロッコリーなど繊維のしっかりした温野菜などが意外にもやっかいでした。勢いをころして、ウニョンウニョンとゆっくり噛むことを心がけていました。

住んでいるマンションのエレベーターが、閉まるときにポーンと音を出すのですが、この音が、左耳では0.2秒くらい遅れてちょっと高めの音で響きます。右耳と左耳で不協和音のように音がぶつかって気持ちが悪いんですね。
で、ふと思いついて、キーボードで音を鳴らしてみたら、右と左で音の高さが違います。
たとえば「ラ」(チューニングで440ヘルツなどに合わせるヤツ)、左耳だけで聞くと「シ♭」に近く聞こえます。もう1オクターブ高い「ラ」だとより高く、ほとんど「シ♭」くらいに聞こえます。
ただし、キーボードの音は、両耳で聞いてもエレベーターのように別々の音に聞こえるということはありませんでした。

なぜそうなるのか、きっと理屈で説明できる人はできるのでしょうが、わたしは「高さが違う」という感覚しかわかりません。人間の耳・音の感知って微妙なバランスで成り立っているものですね。

前回、人の話の聞き方を「少し知ってる外国語」に例えましたが、そんな体験、いくつもしました。
たとえば、夫の話の主語がどうしても聞き取れず、「なに? ハミガキ?」と聞き返していましたが、自民党の谷垣さんの話でした。
なんの脈絡もなく出された単語は理解するのに時間がかかります。政治の話をしているなら、政治ジャンルの中から「ハミガキ」に似た音のものを探してきっとたどりつくのですが、いきなり出されると難しいのです。

固有名詞というのは聞き取りが難しくて、その場にいる人の名前なら半分くらい聞き取れれば把握できるけれど、その場にいない人の名前は、無数の選択肢があるから生半可な聞き取り方では聞き取れないでしょう。
人間っておそらく、聞いたままをしっかり聞き取るのではなくて、話の流れからある程度予想しながら、人の話を聞いて自分の頭で話を組み立てているということでしょう。一字一句聞き取るのは、健康な人でもしんどいことですものね。
自分の不安定な聞き取りから、そんなことを考えました。

続きは次回……「回復編」


<おことわり>
「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。



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2011年07月11日

突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 1

6月のことですが、「突発性難聴」という病気になりました。難聴というくらいですから、耳の聞こえが悪くなる病気です。音をキャッチすることや言葉を聞き取ることが、ふつうとは違う状況が続き、いろいろ(ある意味で)「面白い」体験ができました。時間が経つとおそらく忘れてしまうので、自分のメモも兼ねて、その体験を書き留めておこうと思います。本日より3回に分けてアップします。


なお、「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。


「突発性難聴」という病気は、ある日突然、多くは片耳の聴力が落ちる病気で、はっきりした原因が特定されないものです。疲れやストレスが原因になると言われています。ウイルス感染という説もあるようですが、確かなことはわかっていません。聴力が落ちる他、耳鳴りが起こり、めまいを伴う場合もあります。

再発することがない、とも言われますが、わたし自身、この突発性難聴にかかるのは4回目。病院に行って「前にもやりました」と話して驚かれたことは一度もありません。だから、わたしの体感でも実際にも再発することは珍しくないと思うのですが、公的な見解は「再発しない」だそうです。

聴力の落ち方は人それぞれ、もしくはその時それぞれ。わたしの場合は4回とも左耳、低音高音はあまり落ちず、聴力検査のグラフが「谷型」になる、人の話す声や、日常いちばんよく使う部分の周波数がドーンと落ちるタイプです。

「突発性難聴」、本当に突然くるんです。その日はとある企業に取材中でした。左耳に「キーン」とかなり大きめの音で耳鳴りがはじまって、耳の中がつまったような閉塞感。これで、右耳を押さえてまわりの音がかなり小さくなれば、「あ、やっちゃったかも」と過去3度の体験をもつわたしは警戒するわけです。ただ、取材中なのでもちろん右耳をふさぐわけにはいきません。

会議室での取材が終了した後、参考資料を見せてもらうことになり、会議室から出て、エントランスなど“ざわざわ”としたところを通り抜けながら、資料室に移動したのですが、このとき話してくれた方がわたしの左側に立っていて、ほとんど言葉を聞き取れなかったことを覚えています。
少しできる外国語のようなもので、細かいところは聞き取れないけれど「何について話しているか」はわかり、相づちを打っていれば問題ない会話であることは認識できます。だから特に困ることも慌てることもありませんでした。

が……

ちょっと話がそれますが、もともとわたしは疲れると「耳にくる」ことがよくあり、耳鳴りがして音が聞き取りづらくなることもよくあります。寝て治ればいいけれど、寝ても治らなければ耳鼻科に直行、がなんとなく自分のルールになっていて、過去3回はそれで薬をのむと3日〜1週間で治っていました。
しかし、今回は治療を開始してから10日間は、まったく回復する気配がなく、その間、いろいろ考えているうちにこの「取材のときに人の話が聞こえなかった」ことが、自分のなかで「怖い体験」に変化していったのです。

取材というのは、いろいろな形があり、静かな部屋で座ってゆっくり話を聞く以外に、営業中のお店のなかを案内してもらいながら話すこともあるし、喫茶店などで話すこともあります。
周りが“がやがや”“ざわざわ”いっているところで人の話が聞こえなかったら仕事にならないわけです。

3分の1の人はそのまま治らない病気。なかなか治らないでいる間、このまま聴力が固定されたらどうしたらいいんだろう、と考えていたら、このときの取材の体験は(ほんとうに軽い、軽いものですが)フラッシュバックを起こして何度も頭に浮かぶようになりました。

さて、話は戻ります。
発症当日は「寝れば治るかも」くらいに考えていたため、まだ気楽でした。結局、寝ても治らず、以前にも受診した近所の耳鼻科に行って、「突発性難聴、以前と同じような落ち方ですね」と診断を受けました。
そして、4日間薬をのんでも回復しなかったため、総合病院に移って点滴治療をすることになり、わたしの「闘病」は続きます。

続きは次回……



posted by chiyo at 12:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 難聴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

No.242.50 お知らせ号


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欧 州 映 画 紀 行
              No.242.50   11.07.08配信
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…………
さて、本日は臨時お知らせ号です。

欧州映画紀行のサイトURLが変わりました。

新しいURLは、
http://oushueiga.net/

ずっと借りていたinfoseekのホームページサービスがなくなることとなり、
これを機にドメインを取得いたしましたー。パチパチ。
oushueiga.net 。。。
いやまあ、たいそうなドメインにしたものですね。
欧州映画を専門にされてるちゃんとした皆さんごめんなさい。
短い方がいいかなーと思ったんですもの。

で、これを機にサイトをリニューアル! 
といきたいところだったのですが、
いまだに、シンプルで懐かしいデザインはそのままです。
リニューアルは来年くらいを目標に。

サイトの引っ越しだけで力尽き
滞っているバックナンバーの更新も、まだまだです。

でも気分は確かにあらたまりました。
もう少しメルマガに力を入れられるようになるかな。

中身は変わっていませんが、
よかったらどうぞ、サイトで昔のレビューでもお読みください。

それだけではさびしいので近況報告&映画のお話

6月の中旬頃から突発性難聴という病気になりました。
片耳の聴力が下がったり、耳鳴りがしたり、音の聞こえ方が変になる病気です。
聴力が正常になるのに2週間ちょっとかかりました。
自分の感覚では、音の聞こえ方の不自然なところが少し残っている感じです。

ふだんではわからない「音の聞き方」や「言葉の捕まえ方」について
感じたり考えたりできたこともあって、面白い体験でもありました。
せっかくなので、この体験や音の聞こえ方について、自分のメモのためにも
文章にまとめておきたいと思います。

こちらは、来週中にblogにUp予定。
興味のある方はblog( http://mille-feuilles.seesaa.net/ )をのぞいてみて
ください。
予告しちゃったから逃げられないっ(笑)。

音や耳を、いつもより、やたらと意識する日が続きました。
というわけで、
今まで書いたレビューのなかから、そんなテーマの作品を紹介します。


『ビヨンド・サイレンス』
ドイツ/1996年/カロリーヌ・リンク監督
ろう者の両親を持つ少女が、クラリネットに興味を持ち、本格的に勉強しよう
とするが、音を聞くことのできない父がよい顔をしない。親と自分の夢のあい
だでぶつかりながらも、自分の道を模索している姿がすがすがしい。


『リード・マイ・リップス』
フランス/2001年/ジャック・オディアール監督
難聴で補聴器が必須のカルラは孤独に暮らす事務職。アシスタントで雇った前
科のある男との出会いで彼女は少しずつ世界を広げていく。読唇術を小道具に
使う小気味よいサスペンス。綿密な脚本と心理描写が面白い。


『音のない世界で』
フランス/1992年/ニコラ・フィリベール監督
ファンの多いフィリベール監督のドキュメンタリー。多くのろう者にインタビュー
し、その言葉や生活を映し出す。ナレーション等による説明はない。文化の違
う人々の生活を知るような楽しさを味わえる作品。


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2011年06月05日

お久しぶりはいつも言い訳で

お久しぶりです。
またもや配信しないままずいぶんと時間が経ってしまいました。

最近の私は、そうですね、天候不順のせいか、仕事の気ぜわしさのせいか、
なんとなく落ち着かず、いつもにも増して動きの鈍い生活です。
だから、なんだか映画を観るよゆうもなく、blog更新するよゆうもなく、
だけども、そういうときは慌てず焦らず、
じっとして鋭気が戻ってくるのを待っていればよいかと。
そんなふうに言い訳を抱えている毎日です。
鋭気なんぞそもそも持っているのかい、てのは、なしですよ。

とはいえ、まあTwitterでものぞいていただければわかりますが、
毎日だいたい平和でうっかりで、おおむね元気です。

映画の話題も少し。
ちょっと前ですが、ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』を観ました。
スペインを舞台にした、不思議な雰囲気のある作品で、アメリカ映画なのですが、
そのこれでもかというスペイン風景ぶりに、メルマガで取り上げるのもいいかなー、
なんて思っていました。

ただ、ヨーロッパ映画ではないので、番外編っぽい扱いにもなり、
その後、また新しい号を出せないでいると、番外編がずっと最新号になってしまう。
それもよくないから、2号分用意できたら出そうかな、なんて思っているうちに、
時というのは無情に過ぎていくものです。

『リミッツ・オブ・コントロール』、総じて意味がわからない作品ですが、
緊張やサスペンデッドなイライラ(これらはそもそも意味も意義も背景もわからないものです)を眺める作品として、とても面白いと思いました。

今夜はテニスの全仏オープン、ナダル対フェデラーをWOWOWで観戦予定です。
てなわけで、新しいメルマガはまたもう少し先です。
忘れないでいてくだされば、うれしいです。

posted by chiyo at 21:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

No.242 セラフィーヌの庭

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欧 州 映 画 紀 行
               No.242   11.05.12配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ やりきれなさをどこへ ★

作品はこちら
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タイトル:『セラフィーヌの庭』
製作:フランス、ベルギー、ドイツ/2008年
原題:Séraphine 

監督・共同脚本:マルタン・プロヴォスト(Martin Provost)
出演:ヨランド・モロー セラフィーヌ、ウルリッヒ・トゥクール、
   アンヌ・ベネント
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■STORY&COMMENT
1912年、パリ郊外サンリス。家政婦のセラフィーヌは、辛い仕事を終えると、
草原で木や花に話しかけて悲しみをいやし、アパートに籠もって黙々と絵を描
いていた。そんなある日、彼女の働く家にドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデ
が間借りする。偶然、セラフィーヌの絵を見て、彼女の才能を直感したウーデ
は、セラフィーヌに製作活動の援助を申し出る。絵の道に入るかと思えたセラ
フィーヌだが、1914年、第一次世界大戦がはじまり、ウーデは止むなくフラン
スを離れることになり、彼女の絵を世に出す夢も途絶えてしまう。

セラフィーヌは実在する素朴派の作家とのこと。何の予備知識もなしに観たわ
たしは、フィクションかと思っていたのだけれど、彼女を見出すウーデがアン
リ・ルソーを応援する画商だという描写のあたりで、ああ、実在の人の話なん
だ、と気づいた。
ちょっと話がはしょっている(最終的にずいぶんカットしたんじゃないかな)
ところもあるけれど、戦争や恐慌で、ちょっとずつボタンを掛け違っていく割
りきれなさや悲しさが、じわじわ伝わってくるいい物語だと思う。

セラフィーヌは貧しくて、人からさげすまれる中年の下働きの家政婦。辛いと
植物に話しかけている。貧しく画材も買えないから、植物や生活のなかで使う
ものから自分で工夫して画材を作る。頭は弱そうだけれど絵を描くときには鬼
気迫るものもある。修道院で働いていたこともあって聖歌を歌うのが好き。絵
を描くことは天使から啓示を受けたという。
このキャラクター設定がどこまで実物と同じなのかはわからない。純粋で不遇
な根っからの芸術家という役柄は、セラフィーヌを演じたヨランド・モローの
はまり役だと思う。他の人ではまったく違う映画になっていただろうし、彼女
に断られていたらどうするつもりだったんだろう、と思う。

たださげすまれていた彼女の人生が、ウーデによって才能を認められ絵画とと
もに彩られるのは、観ていてうれしい。けれど結果としてそれによって彼女の
人生が危うくなっていくのは辛い。いったい何が幸せなのか、そんなことをた
め息混じりに考えてしまう作品だ。


■COLUMN
「やりきれない」という言葉をしばしば聞く。ためしに辞書で調べると、「が
まんできない、耐えられない」と書いてある。
実際に使われている時には、たぶん、語感が似ている「やるかたない」や「や
るせない」(心のわだかまりを晴らす方法がない)と混じって、がまんできな
くてすごく怒っている、悲しんでいるというより、どこに怒りや悲しみをぶつ
けてよいのかわからず、諦念混じりに感情の行き先を滞らせて耐えていなけれ
ばならないイメージで使われているように思う。

この映画はこの「やりきれない」という言葉がぴったりだと思う。その要因は
2つある。

1つは、最初にセラフィーヌがウーデと出会ったときには、第1次世界大戦の影
響を受け、その次に交流できたときには、世界恐慌の影響を受ける、という誰
のせいでもないことに人生を翻弄されたこと。戦争にしろ恐慌にしろ人の所業
だから誰かのせいなのだけれど、うねりとして大きすぎ、小さな個人にはどう
にもできないことだ。

もう1つは、セラフィーヌの気性だ。純粋で思いこみが強くて、家政婦や下働
きばかりで虐げられてきたせいもあって社会経験が足りず、状況を正確に把握
することができない。恐慌の影響にしろ、絵が認められて浮かれるときにしろ、
常識的な判断がセラフィーヌにできたならば、その後の悲劇は回避できただろ
う。
しかし、他の人ではまねできない彼女独特の世界は、彼女の純粋さや世間一般
の常識に縛られないが故のものともいえる。冷静で常識的な判断ができるくら
いなら、世間を驚かせた彼女の作品はそもそも生まれなかったのかもしれない。
誰が悪いわけでもないものがここにもある。

どうしたらよかったのか。
ウーデとその妹など、彼女を助けた人たちの手のさしのべ方が間違っていたの
か。もっと誰かが彼女につきっきりでいたなら、何か状況は変えられたのか。
仮にそうだとしても(そうとは思えないけれど)世の中の流れは変えられない。

観終わると、やりきれない「?」がいくつも浮かぶ。

彼女の絵の才能がまだ知られていない頃、ウーデが部屋で頭を抱えているのを
見たセラフィーヌは、「悲しいときは森で植物に話しかけるといいですよ」と
アドバイスする。
どうにもやりきれない気持ちになったところには、しばしば画面に見られる草
木の景色がやさしい。どこに持っていったらよいのかわからない怒りや悲しみ
を、植物たちなら確かにすーっと吸い取ってくれるかもしれないと思える。自
然の描写が希望を残す、映像も美しい作品だ。

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『セラフィーヌの庭』DVD
¥3,264
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価格は2011年5月12日現在のアマゾンでの価格です。
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posted by chiyo at 22:33| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

シルヴァン・ショメ×ジャック・タチ『イリュージョニスト』

『ベルヴィル・ランデブー』というキュートなフレンチアニメーションをご存知だろうか。
『ベルヴィル・ランデブー』を作ったシルヴァン・ショメ監督の新作『イリュージョニスト』は、ジャック・タチの遺した脚本を、ショメがアニメ化したものだ。

年老いてそろそろ客にも飽きられたパリの手品師タチシェフが、イギリスに渡って興業先を探していく物語だ。途中で出会った少女アリスとの交流が、ちょっと変わった運命を導く。

『ベルヴィル・ランデブー』は、猥雑でかつかわいらしかったのが、今回はそこに洗練が加わって、とにかく映像が美しい。

私のメルマガで取り上げる作品は、一応「ヨーロッパの風景を観る映画」という縛りを作っているので(といっても例外はいくつかありますけどもね)、どこの国とも判別つかないものやアニメーションは取り上げないのだけれど、そういう意味で『イリュージョニスト』は、景色を堪能できて取り上げるにふさわしい作品と言ってもいい。

ロンドンのどんよりした空気、潮のにおいのただよう海辺の町、華やいだショーウインドウが誘うエジンバラ。どれもこれも自分の心にある「町」とどこかで符合してさらに美しく響く。

変わっていく世の中と老手品師、手品師を魔法使いと思い込む無邪気な少女。切なさとおかしみは、スクリーンから観た者の心に移ってじわじわと、長く心を揺らめかせ続けるだろう。

タチの『ぼくの伯父さん』がちらりと登場するサービスも粋だ。

苦言をひとつ。そもそもセリフが極端に少ない作品で、会話の中身がわからなくても一向に困ることはなし。字幕はせっかくの美しい画をじゃましてしかいなかった。字幕なくていいんじゃないかな。


ラベル:フランス
posted by chiyo at 13:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする