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欧 州 映 画 紀 行
No.243 11.09.24配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。
★ 寛容は得難く、抱き難く、だけどやっぱり必要 ★
作品はこちら
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タイトル:
『クリーン』製作:フランス・カナダ・イギリス/2004年
原題:Clean
監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス(Olivier Assayas)
出演:マギー・チャン、ニック・ノルティ、ベアトリス・ダル、
ジャンヌ・バリバール、ジェームズ・デニス
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■STORY&COMMENT
ロック歌手のリーを夫にもつエミリー。リーの活躍が芳しくないのは、ヤク中
の妻がいるせいだと周囲から批判され、荒れていた。そんな折、リーが薬物の
多量摂取で命を落とし、エミリーは薬物所持で逮捕、半年の刑務所生活に。夫
も仕事もなくしての再出発。リーの両親に預けている息子のジェイに会うため
に、生活を変えることを決心するが……
ちょっと不思議な映画だった。
「エミリーに同情させるためのしかけ」がさっぱりないんだな。
観客は冒頭で、あんまり趣味のよくないメイクのエミリーに出会い、リーのマ
ネジャーや仲間が「あの女といっしょじゃリーはだめだ」と話しているのを聞
く。それが本当のことなのか、むしろ周りのやっかみや無理解なのか、わから
ない。やむを得ない事情があったのか、それもわからない。
周りは、リーの死はエミリーのせいだと思う。観客は、口論の後、エミリーが
モーテルを飛び出して不在中にリーが死んだことは知っているけれど、それが
間接的にどの程度にエミリーに責任があることなのか、判断できない。
才能あるミュージシャンをつぶしたロクでもない女だと言われれば、そうなん
じゃないかと思う。
こういう話の場合、ふつうは、エクスキューズがつく。
いや、周りはこう言ってるけれど、エミリーには実はもっと辛い事情があって
ね、過去にこんなことがあってね。など。
そういうものは一切ない。
リーと出会う前、エミリーはパリでケーブルTVの音楽番組に出演して人気者だっ
たらしい。刑務所を出た後にエミリーが移り住むパリでの旧友との会話から、
それはわかる。しかし、情状酌量の余地をもたらす過去も、周りの知らない特
別な事情も、提示されない。
リーの両親のもとにいるジェイに会いたいからと、クスリ(この場合は麻薬で
はないのか、処方せんを偽造すると手に入るクスリらしい)をやめようと思う
けれどもなかなかやめられず、親戚に世話されたウエイトレスの仕事は態度が
悪くてクビ。彼女のファッションセンスからは考えられないような地味な服の
売り子の仕事にありつくも、「刑務所みたい」と文句ばかり。
こと日本人の感覚だと、ここで地味な仕事でも心を入れ替えて励んで「地味で
真っ当な人生」を選ぶ姿にほだされたりするのが定番だったりするんだけども、
エミリーにはそういう傾向がさっぱりない。
作り手はそうやってエミリーを見せたりもしないし、そういうエミリーに同情
してもらおうともしない。わざとなのか、ふつうの感覚で作るとそうなったの
か、それとも本当はそういうしかけはあるのに、私が気づいていないだけなの
か。
たぶん、「わがままで地道な努力をする様子のないエミリーにイライラしてまっ
たく感情移入できなかった」という人も多いんじゃないかと思う。
それでもね、「リーにそばにいてほしい」とふいに泣きじゃくる姿や、ジェイ
に会いたくて慣れない頼み事をする姿に、私は涙が出てしまうことが何度かあっ
た。
たぶん、こういうことだ。
やむを得ない事情があったから、ほんとは彼女はしっかりしてるから、自分に
合わない仕事でもがまんしてやったから。
そういう条件付きで救済されるんじゃない。弱いしなんかいろいろ呆れるほど
ダメだし、わがままだし、だけどそれでも人は認められていいんだ。そういう
寛容がきっと必要なのだ。
寛容にならないといけないな、と思うと同時に、弱くてなんかホントにいろい
ろダメで自分勝手な人間の一人として、弱くてダメでも私は希望を持って生き
てもいいのかもしれないと、励まされた。きっと私はいろんな寛容に支えられ
てきて、きっとこれからも寛容に助けられるだろう、と都合よくね。
この寛容を具現化する存在として出てくるのがリーの父。あのお父さんがいな
かったらどうにもならなかったなあ、とちょっと都合よく「いい人物」過ぎる
気もしたけど、効いている存在だった。
書ききれなかったけれど、カナダ、ロンドン、パリ、移り変わる町の風景を眺
めるのも楽しい作品。
■COLUMN
何かのきっかけがあったかなかったか、最近ふと思ったこと「世の中をよくす
るには『ググれボケ』をなくさなきゃ」。
「よい世の中」て何だよ、とそんな定義も必要だというのはごもっともな指摘
だろうけど、そこはちょっと置いといて。
一応説明すると「ググる」というのは、「グーグルで検索する」を短くした言
葉で、グーグルに限らずインターネットで検索して調べるということ。自分で
ちょっと検索すればわかることを他人に聞くな、と、何でも人に尋ねる人に投
げつける言葉として「ググれボケ」とか「ググれカス」とかいう表現がある。
確かに、ちょっと調べればすぐわかることをすぐに人に聞く人(しかもインター
ネットにつながっている)を見ると私もなんでだろうなあ、と思っていたし、
実際いろいろ尋ねられて、その尋ねられたことを全部ググって答えているとき
なんかは、そっちでググればいいじゃん、と閉口したこともある。
でもここ最近、「まずは自分でググる」がまるで普遍的なマナーのように定着
するのを見ると、ボケだのカスだのがつかなくても、「ググれ」なんてケチな
こと言わないで教えてあげればいいのに、と思うようになった。
ちょっとした調べ物を全部丸投げしてくる人や、何度も教えたことを何度も聞
いてくるどうしようもない人もいるだろう。人間関係のある職場というものを
持たない私には計り知れないような苦労をしている人もいるのだろう。
でもね、「ググれ」も「ググろう」も、なるべく言う(思う)頻度を減らして
いくほうがいいと思うのだ。
知らないことはべつに悪いことじゃないし、「いまさら聞けない」みないな恥
ずかしさは、本来はなくてもいいことだ。知らないことを知りたいと思う人が
いたら、知っている人、調べる術を持っている人は、ちょっと時間と労力を使っ
て教えたらいいじゃないか。「ググれ」「ググろう」「ググったら?」どんな
表現を選んでもこれは一種の関係の拒絶だ。自分が知らないことを自分で調べ
ない弱さや怠惰を嘲笑して拒絶するよりも、そこは寛容に受け入れて、調べる
能力を持っている人は、そのチカラをちょっとだけ分けてあげたらいい。少な
くとも、そこには小さいけれどある関係ができる。誰かとのあいだにつながり
ができる。拒絶を重ねるよりも関係を重ねて、持ってるチカラを分け合える方
が、世の中はよくなると思う。
受け入れる方はちょっとしんどいところもあると思う。自分のキャパシティを
超えて寛容を発揮する必要はまったくないけれど、弱いことにも怠惰なことに
も自分勝手も、ある程度は受け入れようよ。
弱くて怠惰でなんかいろいろダメな私のわがままみたいなモンでもあるけれど、
みんなそんなに偉かあないんだから、お互いに寛容に受け入れて、受け入れら
れての方がいいことがあるよ。きっと。
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編集・発行:あんどうちよ
筆者について
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