2011年07月11日

突発性難聴体験記〜〜聞こえの不思議 1

6月のことですが、「突発性難聴」という病気になりました。難聴というくらいですから、耳の聞こえが悪くなる病気です。音をキャッチすることや言葉を聞き取ることが、ふつうとは違う状況が続き、いろいろ(ある意味で)「面白い」体験ができました。時間が経つとおそらく忘れてしまうので、自分のメモも兼ねて、その体験を書き留めておこうと思います。本日より3回に分けてアップします。


なお、「突発性難聴」という病気は人によって症状がさまざまです。これはわたしが感じて体験したことなので、突発性難聴やその他の難聴を患う他の人にはまったくあてはまらない情報である可能性もあります。病気について調べている方は、その点に気をつけてください。


「突発性難聴」という病気は、ある日突然、多くは片耳の聴力が落ちる病気で、はっきりした原因が特定されないものです。疲れやストレスが原因になると言われています。ウイルス感染という説もあるようですが、確かなことはわかっていません。聴力が落ちる他、耳鳴りが起こり、めまいを伴う場合もあります。

再発することがない、とも言われますが、わたし自身、この突発性難聴にかかるのは4回目。病院に行って「前にもやりました」と話して驚かれたことは一度もありません。だから、わたしの体感でも実際にも再発することは珍しくないと思うのですが、公的な見解は「再発しない」だそうです。

聴力の落ち方は人それぞれ、もしくはその時それぞれ。わたしの場合は4回とも左耳、低音高音はあまり落ちず、聴力検査のグラフが「谷型」になる、人の話す声や、日常いちばんよく使う部分の周波数がドーンと落ちるタイプです。

「突発性難聴」、本当に突然くるんです。その日はとある企業に取材中でした。左耳に「キーン」とかなり大きめの音で耳鳴りがはじまって、耳の中がつまったような閉塞感。これで、右耳を押さえてまわりの音がかなり小さくなれば、「あ、やっちゃったかも」と過去3度の体験をもつわたしは警戒するわけです。ただ、取材中なのでもちろん右耳をふさぐわけにはいきません。

会議室での取材が終了した後、参考資料を見せてもらうことになり、会議室から出て、エントランスなど“ざわざわ”としたところを通り抜けながら、資料室に移動したのですが、このとき話してくれた方がわたしの左側に立っていて、ほとんど言葉を聞き取れなかったことを覚えています。
少しできる外国語のようなもので、細かいところは聞き取れないけれど「何について話しているか」はわかり、相づちを打っていれば問題ない会話であることは認識できます。だから特に困ることも慌てることもありませんでした。

が……

ちょっと話がそれますが、もともとわたしは疲れると「耳にくる」ことがよくあり、耳鳴りがして音が聞き取りづらくなることもよくあります。寝て治ればいいけれど、寝ても治らなければ耳鼻科に直行、がなんとなく自分のルールになっていて、過去3回はそれで薬をのむと3日〜1週間で治っていました。
しかし、今回は治療を開始してから10日間は、まったく回復する気配がなく、その間、いろいろ考えているうちにこの「取材のときに人の話が聞こえなかった」ことが、自分のなかで「怖い体験」に変化していったのです。

取材というのは、いろいろな形があり、静かな部屋で座ってゆっくり話を聞く以外に、営業中のお店のなかを案内してもらいながら話すこともあるし、喫茶店などで話すこともあります。
周りが“がやがや”“ざわざわ”いっているところで人の話が聞こえなかったら仕事にならないわけです。

3分の1の人はそのまま治らない病気。なかなか治らないでいる間、このまま聴力が固定されたらどうしたらいいんだろう、と考えていたら、このときの取材の体験は(ほんとうに軽い、軽いものですが)フラッシュバックを起こして何度も頭に浮かぶようになりました。

さて、話は戻ります。
発症当日は「寝れば治るかも」くらいに考えていたため、まだ気楽でした。結局、寝ても治らず、以前にも受診した近所の耳鼻科に行って、「突発性難聴、以前と同じような落ち方ですね」と診断を受けました。
そして、4日間薬をのんでも回復しなかったため、総合病院に移って点滴治療をすることになり、わたしの「闘病」は続きます。

続きは次回……



posted by chiyo at 12:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 難聴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

No.242.50 お知らせ号


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欧 州 映 画 紀 行
              No.242.50   11.07.08配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

…………
さて、本日は臨時お知らせ号です。

欧州映画紀行のサイトURLが変わりました。

新しいURLは、
http://oushueiga.net/

ずっと借りていたinfoseekのホームページサービスがなくなることとなり、
これを機にドメインを取得いたしましたー。パチパチ。
oushueiga.net 。。。
いやまあ、たいそうなドメインにしたものですね。
欧州映画を専門にされてるちゃんとした皆さんごめんなさい。
短い方がいいかなーと思ったんですもの。

で、これを機にサイトをリニューアル! 
といきたいところだったのですが、
いまだに、シンプルで懐かしいデザインはそのままです。
リニューアルは来年くらいを目標に。

サイトの引っ越しだけで力尽き
滞っているバックナンバーの更新も、まだまだです。

でも気分は確かにあらたまりました。
もう少しメルマガに力を入れられるようになるかな。

中身は変わっていませんが、
よかったらどうぞ、サイトで昔のレビューでもお読みください。

それだけではさびしいので近況報告&映画のお話

6月の中旬頃から突発性難聴という病気になりました。
片耳の聴力が下がったり、耳鳴りがしたり、音の聞こえ方が変になる病気です。
聴力が正常になるのに2週間ちょっとかかりました。
自分の感覚では、音の聞こえ方の不自然なところが少し残っている感じです。

ふだんではわからない「音の聞き方」や「言葉の捕まえ方」について
感じたり考えたりできたこともあって、面白い体験でもありました。
せっかくなので、この体験や音の聞こえ方について、自分のメモのためにも
文章にまとめておきたいと思います。

こちらは、来週中にblogにUp予定。
興味のある方はblog( http://mille-feuilles.seesaa.net/ )をのぞいてみて
ください。
予告しちゃったから逃げられないっ(笑)。

音や耳を、いつもより、やたらと意識する日が続きました。
というわけで、
今まで書いたレビューのなかから、そんなテーマの作品を紹介します。


『ビヨンド・サイレンス』
ドイツ/1996年/カロリーヌ・リンク監督
ろう者の両親を持つ少女が、クラリネットに興味を持ち、本格的に勉強しよう
とするが、音を聞くことのできない父がよい顔をしない。親と自分の夢のあい
だでぶつかりながらも、自分の道を模索している姿がすがすがしい。


『リード・マイ・リップス』
フランス/2001年/ジャック・オディアール監督
難聴で補聴器が必須のカルラは孤独に暮らす事務職。アシスタントで雇った前
科のある男との出会いで彼女は少しずつ世界を広げていく。読唇術を小道具に
使う小気味よいサスペンス。綿密な脚本と心理描写が面白い。


『音のない世界で』
フランス/1992年/ニコラ・フィリベール監督
ファンの多いフィリベール監督のドキュメンタリー。多くのろう者にインタビュー
し、その言葉や生活を映し出す。ナレーション等による説明はない。文化の違
う人々の生活を知るような楽しさを味わえる作品。


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2011年06月05日

お久しぶりはいつも言い訳で

お久しぶりです。
またもや配信しないままずいぶんと時間が経ってしまいました。

最近の私は、そうですね、天候不順のせいか、仕事の気ぜわしさのせいか、
なんとなく落ち着かず、いつもにも増して動きの鈍い生活です。
だから、なんだか映画を観るよゆうもなく、blog更新するよゆうもなく、
だけども、そういうときは慌てず焦らず、
じっとして鋭気が戻ってくるのを待っていればよいかと。
そんなふうに言い訳を抱えている毎日です。
鋭気なんぞそもそも持っているのかい、てのは、なしですよ。

とはいえ、まあTwitterでものぞいていただければわかりますが、
毎日だいたい平和でうっかりで、おおむね元気です。

映画の話題も少し。
ちょっと前ですが、ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』を観ました。
スペインを舞台にした、不思議な雰囲気のある作品で、アメリカ映画なのですが、
そのこれでもかというスペイン風景ぶりに、メルマガで取り上げるのもいいかなー、
なんて思っていました。

ただ、ヨーロッパ映画ではないので、番外編っぽい扱いにもなり、
その後、また新しい号を出せないでいると、番外編がずっと最新号になってしまう。
それもよくないから、2号分用意できたら出そうかな、なんて思っているうちに、
時というのは無情に過ぎていくものです。

『リミッツ・オブ・コントロール』、総じて意味がわからない作品ですが、
緊張やサスペンデッドなイライラ(これらはそもそも意味も意義も背景もわからないものです)を眺める作品として、とても面白いと思いました。

今夜はテニスの全仏オープン、ナダル対フェデラーをWOWOWで観戦予定です。
てなわけで、新しいメルマガはまたもう少し先です。
忘れないでいてくだされば、うれしいです。

posted by chiyo at 21:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

No.242 セラフィーヌの庭

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欧 州 映 画 紀 行
               No.242   11.05.12配信
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★ やりきれなさをどこへ ★

作品はこちら
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タイトル:『セラフィーヌの庭』
製作:フランス、ベルギー、ドイツ/2008年
原題:Séraphine 

監督・共同脚本:マルタン・プロヴォスト(Martin Provost)
出演:ヨランド・モロー セラフィーヌ、ウルリッヒ・トゥクール、
   アンヌ・ベネント
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■STORY&COMMENT
1912年、パリ郊外サンリス。家政婦のセラフィーヌは、辛い仕事を終えると、
草原で木や花に話しかけて悲しみをいやし、アパートに籠もって黙々と絵を描
いていた。そんなある日、彼女の働く家にドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデ
が間借りする。偶然、セラフィーヌの絵を見て、彼女の才能を直感したウーデ
は、セラフィーヌに製作活動の援助を申し出る。絵の道に入るかと思えたセラ
フィーヌだが、1914年、第一次世界大戦がはじまり、ウーデは止むなくフラン
スを離れることになり、彼女の絵を世に出す夢も途絶えてしまう。

セラフィーヌは実在する素朴派の作家とのこと。何の予備知識もなしに観たわ
たしは、フィクションかと思っていたのだけれど、彼女を見出すウーデがアン
リ・ルソーを応援する画商だという描写のあたりで、ああ、実在の人の話なん
だ、と気づいた。
ちょっと話がはしょっている(最終的にずいぶんカットしたんじゃないかな)
ところもあるけれど、戦争や恐慌で、ちょっとずつボタンを掛け違っていく割
りきれなさや悲しさが、じわじわ伝わってくるいい物語だと思う。

セラフィーヌは貧しくて、人からさげすまれる中年の下働きの家政婦。辛いと
植物に話しかけている。貧しく画材も買えないから、植物や生活のなかで使う
ものから自分で工夫して画材を作る。頭は弱そうだけれど絵を描くときには鬼
気迫るものもある。修道院で働いていたこともあって聖歌を歌うのが好き。絵
を描くことは天使から啓示を受けたという。
このキャラクター設定がどこまで実物と同じなのかはわからない。純粋で不遇
な根っからの芸術家という役柄は、セラフィーヌを演じたヨランド・モローの
はまり役だと思う。他の人ではまったく違う映画になっていただろうし、彼女
に断られていたらどうするつもりだったんだろう、と思う。

たださげすまれていた彼女の人生が、ウーデによって才能を認められ絵画とと
もに彩られるのは、観ていてうれしい。けれど結果としてそれによって彼女の
人生が危うくなっていくのは辛い。いったい何が幸せなのか、そんなことをた
め息混じりに考えてしまう作品だ。


■COLUMN
「やりきれない」という言葉をしばしば聞く。ためしに辞書で調べると、「が
まんできない、耐えられない」と書いてある。
実際に使われている時には、たぶん、語感が似ている「やるかたない」や「や
るせない」(心のわだかまりを晴らす方法がない)と混じって、がまんできな
くてすごく怒っている、悲しんでいるというより、どこに怒りや悲しみをぶつ
けてよいのかわからず、諦念混じりに感情の行き先を滞らせて耐えていなけれ
ばならないイメージで使われているように思う。

この映画はこの「やりきれない」という言葉がぴったりだと思う。その要因は
2つある。

1つは、最初にセラフィーヌがウーデと出会ったときには、第1次世界大戦の影
響を受け、その次に交流できたときには、世界恐慌の影響を受ける、という誰
のせいでもないことに人生を翻弄されたこと。戦争にしろ恐慌にしろ人の所業
だから誰かのせいなのだけれど、うねりとして大きすぎ、小さな個人にはどう
にもできないことだ。

もう1つは、セラフィーヌの気性だ。純粋で思いこみが強くて、家政婦や下働
きばかりで虐げられてきたせいもあって社会経験が足りず、状況を正確に把握
することができない。恐慌の影響にしろ、絵が認められて浮かれるときにしろ、
常識的な判断がセラフィーヌにできたならば、その後の悲劇は回避できただろ
う。
しかし、他の人ではまねできない彼女独特の世界は、彼女の純粋さや世間一般
の常識に縛られないが故のものともいえる。冷静で常識的な判断ができるくら
いなら、世間を驚かせた彼女の作品はそもそも生まれなかったのかもしれない。
誰が悪いわけでもないものがここにもある。

どうしたらよかったのか。
ウーデとその妹など、彼女を助けた人たちの手のさしのべ方が間違っていたの
か。もっと誰かが彼女につきっきりでいたなら、何か状況は変えられたのか。
仮にそうだとしても(そうとは思えないけれど)世の中の流れは変えられない。

観終わると、やりきれない「?」がいくつも浮かぶ。

彼女の絵の才能がまだ知られていない頃、ウーデが部屋で頭を抱えているのを
見たセラフィーヌは、「悲しいときは森で植物に話しかけるといいですよ」と
アドバイスする。
どうにもやりきれない気持ちになったところには、しばしば画面に見られる草
木の景色がやさしい。どこに持っていったらよいのかわからない怒りや悲しみ
を、植物たちなら確かにすーっと吸い取ってくれるかもしれないと思える。自
然の描写が希望を残す、映像も美しい作品だ。

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★DVD
『セラフィーヌの庭』DVD
¥3,264
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価格は2011年5月12日現在のアマゾンでの価格です。
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ラベル:フランス
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2011年05月03日

シルヴァン・ショメ×ジャック・タチ『イリュージョニスト』

『ベルヴィル・ランデブー』というキュートなフレンチアニメーションをご存知だろうか。
『ベルヴィル・ランデブー』を作ったシルヴァン・ショメ監督の新作『イリュージョニスト』は、ジャック・タチの遺した脚本を、ショメがアニメ化したものだ。

年老いてそろそろ客にも飽きられたパリの手品師タチシェフが、イギリスに渡って興業先を探していく物語だ。途中で出会った少女アリスとの交流が、ちょっと変わった運命を導く。

『ベルヴィル・ランデブー』は、猥雑でかつかわいらしかったのが、今回はそこに洗練が加わって、とにかく映像が美しい。

私のメルマガで取り上げる作品は、一応「ヨーロッパの風景を観る映画」という縛りを作っているので(といっても例外はいくつかありますけどもね)、どこの国とも判別つかないものやアニメーションは取り上げないのだけれど、そういう意味で『イリュージョニスト』は、景色を堪能できて取り上げるにふさわしい作品と言ってもいい。

ロンドンのどんよりした空気、潮のにおいのただよう海辺の町、華やいだショーウインドウが誘うエジンバラ。どれもこれも自分の心にある「町」とどこかで符合してさらに美しく響く。

変わっていく世の中と老手品師、手品師を魔法使いと思い込む無邪気な少女。切なさとおかしみは、スクリーンから観た者の心に移ってじわじわと、長く心を揺らめかせ続けるだろう。

タチの『ぼくの伯父さん』がちらりと登場するサービスも粋だ。

苦言をひとつ。そもそもセリフが極端に少ない作品で、会話の中身がわからなくても一向に困ることはなし。字幕はせっかくの美しい画をじゃましてしかいなかった。字幕なくていいんじゃないかな。


ラベル:フランス
posted by chiyo at 13:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

No.241 17歳の肖像

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欧 州 映 画 紀 行
               No.241   11.03.31配信
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毎回このメルマガを読んでくださっている方の中には、
この度の大震災で被災された方、ご家族や近しい方が被災された方も
いらっしゃるかと存じます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、行方不明になられている方、
今、日常の生活を奪われている方が一刻もはやく平穏な生活に戻られることを
お祈りしております。

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★ ほんとの教育って? ★

作品はこちら
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タイトル:『17歳の肖像』
製作:イギリス/2009年
原題:An Education 

監督:ロネ・シェルフィグ(Lone Scherfig)
出演:キャリー・マリガン、ピーター・サースガード、ドミニク・クーパー、
   ロザムンド・パイク、オリヴィア・ウィリアムズ
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■STORY&COMMENT
1961年、ロンドンの郊外。もうすぐ17歳になるジェニーはオックスフォード大
学進学を目指す優等生だ。勉強のプレッシャーと退屈さに苛まれながら、自室
ではシャンソンを聴き、文化と自由のあふれるパリへの憧れを募らせていた。
そんなある日、倍以上年の離れたデイヴィッドに出会う。教養あふれ楽しい会
話のできるデイヴィッドにすっかり恋をしてしまい……

私は知らないが、リン・バーバーというジャーナリストが自分の若い頃を振り
返った手記が原作だという。正直にいうと「だから実話っておもしろくないん
だよ」が私の最初の感想。その部分的な「おもしろくなさ」は後で説明すると
して、せっかく美しくて頭のよい女の子が、危ないプレイボーイの手におちて
いく様子は、居たたまれなくてハラハラして、引き込まれた作品だった。

「オックスフォードに入るためのことなら、何でもやればよい。チェロもその
一つ。だがフランスの歌なんか聴くんじゃない。苦手なラテン語をもっと勉強
しろ」厳しい父親のもと、窮屈な毎日を送っていたジェニーは、デイヴィッド
と時を過ごすことに夢中になる。
クラシックやジャズへの造詣が深く、美術作品についても自説を語れ、何でも
ないおしゃべりも洗練されている。友人カップルの女性はおしゃれの手ほどき
をしてくれる。コンサートに出かけ、一流のレストランやバーで食事を楽しん
で。年齢を重ねて会話のうまいデイヴィッドは、両親ともすぐに打ち解けて、
彼らの警戒心を解いてジェニーをあれやこれやと連れ出す。

私の17歳の頃はもっともっと子どもっぽかっただろうと思うけれど、19か20歳
の頃だったら、と考えたら、ああ確かに夢中になってしまうかもなあ。こんな
ヨーロッパの映画を観て文章を書くメルマガを発行してる私。当然、若い頃は
特に文化的自意識が強くて「文化的に洗練されている」ことは絶対に必要なこ
とだった。そんな「洗練されている人」から認められ愛されることも、うれし
くてしかたのないことだっただろう。
多少アヤシイことには目をつぶり、背伸びを続けてソフィストケイトされた世
界の住人になることで頭の中はいっぱいになるジェニーの心はよくわかる。バ
カな女の子だな、という反応もあるだろうけれど、私は他人事と切って捨てら
れない。

もう何年かしたら自由へと拓いていく鬱屈した自体の雰囲気、ファッションも
あわせて楽しみながら、少女の皮肉な成長をドキドキしながら眺める。ジェニー
の行く末が怖くて、それを眺めている自分の視線がイジワルにも感じられる。
不思議な感覚で楽しめる作品だと思う。

■COLUMN
デイヴィッドと仲睦まじくなるにつれて、当然、成績もあやしくなり、学校で
はお金持ちの大人の男とアバンチュールを楽しんでいるとすっかりウワサの的
となり女生徒たちは大騒ぎ。目をかけていた教師は心配して忠告する。

すっかり大人になった気分のジェニーはぶ厚いレンズのメガネをかけた教師に
威張りくさった言葉を浴びせる。
「勉強勉強と努力を重ねた末にたどり着く人生は、つまらない勉強をまた教え
ることなのか。私はジャズを聞き美しい物を見て、勉強した。そんな洗練され
た物を味わう人生のがいい」まあ、全然言葉通りではないのだけれど、こんな
感じだ。
勉強して教養を身につけるよりも、現場でいい物美しい物良質な物を実際に味
わう方が教養になるだろう。勉強するよりも、容姿とふるまいを磨いて、それ
だけの洗練されたものに触れられる人(=金持ち)と結婚する方がどれだけ幸
せで教養高いことか、とも言いたいようだ。

校長にも啖呵を切る。「今後私のような疑問を持つ生徒は必ず出てくるだろう。
それに学校はきちんとした答えを出すべきだ」。

生意気な若者の失礼な物言いなのだが、私も、地味な勉強を続けることに、同
じように疑問を持つ生徒は確かに出てくるだろうと思うし、若者を育てる教育
者はそれに対して納得できることを答えようと努力して当然だと思う。
今現在の日本だって、どっちかと言ったら、女の子は「見る目」を養ってそれ
なりの男と出会うことを重視して、そうするようにいざなっているじゃないか。

ジェニーが生意気に教師に立ち向かったシーンはとても印象的だが、結局、こ
の作品は少女の疑問に答えていない。
結末を言わなくてはいけなくなるので、なぜ「答えていない」と思うのか、を
説明できなくて歯がゆいのだが、せっかく面白い視点があるのにそれを回収し
きれていなくてもったいないと、私は思う。

この作品の原題は『An Education』。
直接的には、男に夢中になった少女が、その経験から受けた教育という意味だ
ろう。副次的には、教養や美意識、センスが身についた、デイヴィッドから受
けた教育があり、ジェニーが疑問を持ちお高くとまって鼻で笑った学校の教育
がある。
せっかく多重的に「教育」を入れ込んでいるのだから「教育て何?」という裏
テーマもきっちり組み立てて欲しかった。完全にフィクションならば、テーマ
を優先してエピソードを作り出すこともできるけれど、実話なら仕方がない。

「だから実話っておもしろくないんだよ」という最初の感想の正体はこれだ。

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2011年03月22日

「デマ」と「パクリ」

3月11日の震災から10日以上。おもにTwitterでの印象だが、「デマ」がずいぶん話題になった。ある情報がぐわりと押し寄せて、「リツイート」で拡散されて、しばらくすると先ほどのはデマでしたという「リツイート」がやってくる。
そのパターンに慣れた今、「デマでした」の前に「デマじゃないの?」の流れさえもやってくる。

江頭2:50さんがトラックを運転して被災地に行ったという話など、「デマじゃなかったんだ。東スポに出てる」という平常時なら信じられないような根拠さえ提示される。
「デマが横行」の次には、流量の大きかった情報の「デマや否や」を検証することが、圧力としてTwitter利用者の上にのしかかっているかのようだ。

ある情報が相当量で流通した後やってくる「○○はデマ!」の大きな流れを見ていて「パクリ」を指摘する大きな流れ(これも主にTwitterだが)を見たときの感じと似ていると思った。

以前に「あるものがパクリであると判明したとき、人はなぜこんなにも一生懸命告発するのだろうか」と思い、それでblogを書こうとしたがうまくまとまらなくて断念したことがある。
「ある曲とある曲が似ている」「ある写真の構図が他の作品と酷似している」「賞をとった作品が2chのコピぺだった」などなど。どこかで公表されている作品が、他の何かの借用だった場合、私が見るに、わりといつも冷静な態度をとっている人でも、必死にその事実を皆に広めようとすることがある。
確かに、オリジナルのフリをしてオリジナルではないこと、本来ならば賞賛されるのはまねをされたオリジナルの方なのに、それが忘れられること。それは許すべきことではない。だが、まねした方でもされた方でもないならば、必ずしもまわりが騒ぐことではないとも言える。
にもかかわらず、「パクリ」は、多くの傍観者に「許せない、放っておけない」という正義感を呼び起こすようで、「パクった方」というのはかなり叩かれることになる。それは、その「パクった方」が金銭的な見返りも社会的賞賛も特に受けていない場合でも同様だ。

「○○はデマ」を広めようとする流れのなかにも「許せない、放っておけない」正義感が見える。デマの場合は、自分がリツイートで拡散に手を貸してしまったから、デマであればそれを明らかにする責任も強いからだろうとは思う。その点は少し違うが、デマであったとしても誰も得も損もしていないのではないか(デマではなかったらしいが上述の江頭さんの話はそんなところ)というものでも「デマは許せない」という空気はある。

パクリを告発する心境とデマを告発する心境が似ているのなら、その共通点は「人が騙されている状態をそのままにできない」ということだろうか。ウソがまかり通ることは、損得なしに、許せない感情がわくものなのだろう。まだ騙されていない人に向けても、こんな風に騙している人がいます、と教えてウソの逃げ場をなくそうとする。

「パクリ」には、ものを創造する人やその行為自体への敬意がプラスされてパワーになっているだろうし、「デマの検証」には上にも書いた正しい情報を流そうとする責任感がプラスされてパワーになるだろう。
だから、完全に類似の現象と言うつもりはないが、根底には「ウソを許さない」「騙されている人がいることを放置しない」思いが共通して流れているように思う。

posted by chiyo at 22:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月15日

3月11日の私


東北地方で大規模な地震が起きて、
たくさんの人が被害に遭われました。
私のメルマガやblogを読んでくださっている方のなかにも、
今、苦しい状況にある方がいらっしゃるのではないかと思います。
どうか、一刻も早く平穏な毎日を迎えられますように。

東京杉並に住む私は、自宅で物が落下したりはしましたが、
フリーランスで通勤がなく(東京では停電の影響で電車の運行が限られています)、
運よく今のところ停電の対象地域でもなく、ふつうの日常生活を送れています。


当日は、東京でもかなり大きく揺れましたが、
そのときいた場所によってずいぶん印象が違うようです。

地震が起きたとき、私は電車に乗っていて、
駅についたところで大きな揺れがきました。
車内は空いていて、物が倒れたり落ちたりすることもなかったせいか、
ずいぶんひどく揺れたなあとは思いましたが、
車内アナウンスで震度5だといわれて、「え、そんなに?」とびっくりしたくらい。

そのときのTwitterでの私のpostがこれ。↓

2:49 PM
すごい揺れてる

2:51 PM
電車の中それなりのパニック状態。もっと大きかったら、もっと混雑してたら。冷静な対処なんて難しいね。

2:52 PM
酔った

2:52 PM
また揺れてるわー。


ここで「パニック状態」と言ったのは、
慌てて出口めがけて突進した人がいたからで、
あいた座席がたくさんある車内だったから特に何ともないけれど、
満員電車だったら危険なことも起こりかねないと思ったから。

ただ、その突進した人というのは、
私の隣でかなり大きな声でおしゃべりをしていてうるさかった女性3人組(だけではないですが)。
私の中に多少冷ややかな目線があったと思います。
だから、あまり客観的な観察ではないように、今となっては思います。

何にせよこの時点では「もっと大きかったら」
と言っているくらいの印象だったわけです。

その後の「酔った」というのは
乗り物酔いしやすい性質の私が、
いつまでもゆらーんゆらーんとしていて酔ったようになった、ということ。

この日は携帯のメールはずいぶん遅延していて、Twitterの方がずっとつながりやすかったように思います。
Twitterでは自宅にいた私の夫と連絡をとりましたが、こんなやりとり。

古いマンションの7階にある家の状態を尋ねると写真付きで返信が。
20110311heya.jpg3:00 PM
別に怪我とかはないから大丈夫だけど、こんな感じ。



それに対し、いろいろ物が落ちたんだなと思いながらも、
そもそも床にいろいろなものが散らかっていることが珍しくないため、
8割冗談2割本気くらいで、

3:04 PM
こりゃあまた。普段とそんなに変わらないな。帰るわ。東松原なので1時間半くらいかかるかなあ。

と返信。
たぶん、ここでも二人の地震の印象はちょっと食い違っていたのかもしれません。


私は、この日、近所の税務署に確定申告の書類を提出した後、電車に乗って渋谷方面に向かっていました。
ある美術館に行ってから、どこかのカフェで仕事の資料を読もうと思ってたのです。

3:07 PM
京王線は全線止まってます。運転再開見込みは16時を予定。←井の頭線のことなのか京王線全体のことなのか不明。

と、誰かの役に立つかもしれないと、
鉄道会社のアナウンスをそのままTwitterにpostしました。

まだ地震の規模や被害を低く見積もっていたものの、
こういうときに電車が最初に言った時間に動かないことは何度か経験しているし、
電車移動なら最終的にはJRに乗らなければいけないのだけれど、
一般論として私鉄よりJRの方が復旧が遅いので、そのまま自宅まで歩く方が早いと判断して歩きはじめました。

ふだんから気分転換に4〜5キロ歩くことはよくあって、
歩くこと自体はそんなに大変なことではないんです。
ただ、体調を悪くして治りかけだったために、寒いところに長時間いるのがちょっと辛くて、
「夕方までどこかのあったかいカフェで資料読みして電車動いたころに帰ればよかったかも」と、
途中で弱気にもなりましたが、結局夜通し交通は混乱。
早めに帰る判断が当たりました。

なんて言ってると、まるで自分の判断が的確だったと鼻にかけてるように思われるかもしれないけれど、
カフェで長時間本を読んだり、ということが、もともとそんなに好きではないのです。
無駄に外にいるよりとっとと帰るのが日常の私です。

歩く道すがら、ふだんはガスのメーターを点検しているのであろう方々が、
マイコンメーターが止まった状態の家を1軒1軒まわって、ガス復旧の手順を説明するなど、
東京ガスの制服の人を何人か見かけました。
地震で人員を動員したというには早すぎるから、たまたま検針の途中だった人が注意していたのかな、と想像しますが、当たり前だけれど世の中いろいろな人がいろいろな仕事をしているんだなと思ったり。

家に帰ると、割れ物などは夫がすでに片づけてくれていたので、
いちばん大変なところはやらないで済んでしまいました。
体が冷えたからお風呂に入りたいなーなんて思ったけれど、
お風呂の三角コーナーがぶっ倒れてお風呂中物が散乱していたため断念。

テレビをみてはじめて本当に大きい地震だったのだとびっくりして、
お風呂に入ってる場合じゃないんだと確認。
そして、ちょっとのんびりすぎて人を苛立たせかねないTwitterへのpostを削除しました。
飲みかけの紅茶を机の上に放置して出かけたため、
こぼれた紅茶に汚染されてしまったあれやこれやを片づけて
(パソコンに被害がなかったことが何より! 机にカップを放置するクセを直すいい機会です)
散らばった本はどれが地震のせいでどれが元から落ちていた物かわからないので、
まあいいやってことにして……
そんなこんなで、地震当日の午後は過ぎていきました。

ちょうど仕事が忙しくない時期にあたったので、
どうしても移動する必要もなく、停電の対象地域にもあたらず、
気はどこかで焦るけれど、日常生活を送っていて元気です。
元気に平穏でいられる人は、まずはその平穏を続けることが仕事でしょう。

ここにこんなダラダラと文章を書いたのは、記憶が残っているうちに書いておくと、
後日(自分の)記録として役立つかな、と思ってのことです。
他の人には、今も後日も役には立たないでしょうから、心苦しさは否めませんが、
私は元気です、どうぞ皆さん無事でいて、と伝えるくらいの役には立つかと思っています。



posted by chiyo at 16:04| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

こんな今だから観たい映画

中東で連鎖している民衆の動きが報道されて、
されるものの本当の情報なのかどうか、なかなかわからなかったり、
みんながやきもきしている。

ここのところあまり時間もなく、
新聞の一面をさらっと眺めるくらいで、
ネットのニュースすら追っていない私。
そもそも中東という地域について知ってることもとても少ない。

流れにのって何か言うこともできないのだけど、
ふと思ったのは、こんなにみんなが注目するのは、
一つには、世の中が大きく動くその時をリアルタイムで見るのは、
ダイナミックな体験だからかなってこと。
映像としても、心に残すものは大きい。

で、考えた。
こんな時期に観るからこそ迫ってくるような
映画を今までにレビューで紹介しなかったかな。

探してみたんだけれども、民衆の蜂起や、体制が崩れるその時、が
映像として出てくるものは割と少なく、この3本をチョイス。
(昔の号は、ブログに反映されていないので、リンクはバックナンバーページ)


No.030 『コーリャ 愛のプラハ 』
民主化を求めて広場に集まった人々が、
それぞれ持っているキーホルダーをじゃらじゃら鳴らして、
「鳴り物」とするシーンが印象的。

No.047 『カフェ・ブダペスト 』
ベルリンの壁がこわれた後、西側と東側の人々が一気に交流をした。
その頃のブダペストの風景。

No.184 『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』
ハンガリー動乱のさなか、オリンピックか革命か、迷う水球選手が主人公。
エンドクレジットで自由を勝ち取る闘いを讃える詩にぐっさりやられる。

体制への反抗とか内戦とかレジスタンスなんかに広げると
もっといろいろあるんだけどね、
そちらのチョイスも見たいって方はコメントを入れてください。


観る時間書く時間がないなら、二次利用って手があるんだな、
今まで書きためたものをある視点からグルーピングすると、
1つのコンテンツにできるんだ。
いいこと覚えた。へっへっへ。
posted by chiyo at 23:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月28日

No.240 オーケストラ!


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欧 州 映 画 紀 行
               No.240   10.01.28配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 私の忸怩たるエッセンスを載せ、願いよ、届け ★

作品はこちら
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タイトル:『オーケストラ!』
製作:フランス・イタリア・ルーマニア・ベルギー・ロシア/2009年
原題:Le concert 英語題:The Concert

監督・共同脚本:ラデュ・ミヘイレアニュ(Radu Mihaileanu)
出演:アレクセイ・グシュコフ、メラニー・ロラン、フランソワ・ベルレアン、
   ミュウ=ミュウ、ドミトリー・ナザロフ
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■STORY&COMMENT
ロシアの名門オーケストラ・ボリショイ交響楽団で、かつて天才指揮者と言わ
れていたアンドレイは、今や楽団の掃除係。30年前、共産主義政権がユダヤ人
演奏者を排斥する決定をしたことに反対して、職を追われてしまったのだ。
ある日、掃除中に、2週間後の演奏会に急遽ボリショイ交響楽団を招きたいとい
うパリからのFAXを見つけたアンドレイは、楽団を追われた仲間を集めて、「ボ
リショイ交響楽団」をよそおってパリへ演奏しにいく計画を立てる……

軽ーく軽ーく笑えるネタが連続して流れるその底に、がつんと重い「事情」が
横たわる、重さと軽さを両方を観客にプレゼントしながら、最後はすーっと昇
華して感涙を誘う。由緒正しいヨーロッパスタイルの映画だ。

ユダヤ人の大追放が、音楽家として職場を奪われることになったことは、映画
の最初には明かされない。そのせいもあって、悲壮感とは無縁に、どうもうだ
つの上がらない人たちが、偽楽団をしたててるよ、というスピード感のあるコ
メディとしてすんなり物語の世界に入れる。

救急車の運転手、のみの市の商売人、音楽の仕事を追われて行き着いた先の仕
事には、さしてまじめに取り組めなくて落ちぶれている昔の仲間達。彼らを探
し出して、説得するところから始まり、その都度降りかかってくる困難を何と
かはねのけはねのけ、いや、それが苦労話ではなく、全部笑い話で何とかして
いく。
シチュエーションコメディというのとは少し違うのだろうけれど、その都度は
まり込む困難、難題のシチュエーションそれ自体を観客は笑い、それを何とか
する(または何とかなっちゃう)様子を見て吹き出す。

最終的にパリに行くことができて、演奏も成功することは、言ったところでネ
タバレとはならないだろう。そのための過程を楽しむ作品だから。
人が集まったら今度は出国できるか怪しく、パリまでたどり着いたら、急ごし
らえ楽団員たちは遊びやら商売やらでリハーサルに現れない、などなど、次か
ら次へと難題が現れ、笑いながらもハラハラがやまない。
アンドレイがぜひ共演したいと願うヴァイオリンのソリスト、アンヌ=マリー・
ジャケが、いったい何者なのか、という謎解き要素も途中くわわって、最後ま
で、落ちないスピード感で引っぱって行かれる。

ハラハラした分も、バカ騒ぎに笑った分も、全部最後のチャイコフスキーに凝
縮されて、「ああよかったね、よかったよ」と、無意味に隣の観客と笑い合い
たい気分になる。たとえ、一人で鑑賞していてもね。

■COLUMN
いっちばん最初の印象は、正直言って、
「楽しくていい映画、でも真剣に感動するにはリアリティがないよねー」
だった。
だって30年も音楽から離れていた人たちが急ごしらえで集まっても実際はさー、
(その他、出国方法などあり得ないことはいろいろ!)と思ったのだ。

だけれど、DVDの特権をフル活用し、クライマックスの演奏シーンをもう一度再
生していて考えが変わっていった。

確かに、この映画で起きたことが実現可能かという意味では、そうじゃないだ
ろう。
でも映画のリアリティには、その事が本当に起こるらしいリアリティもあれば、
その結末を本気で喜べるか、とか、共感できるか、とか、自分のこととして入
り込めるか、など物語としてのリアリティもある。その作品の持つパワーといっ
てもいいだろうか。
そういう意味で、「楽しくていい映画、そして真剣に感動するだけのリアリティ
がある」。

30年もの間、政府によって仕事を奪われる重く苦しい事態を下敷きにするこの
作品は、「願いのかたまり」だと思う。自身もルーマニアからの亡命者である
監督は、むくわれない多くの人の過去と現在と未来が、少しでもよい方向へ向
くようにと、願いをこめているんじゃないか。

笑いとユーモアで吹き飛ばしたかのように見えても、決して吹き飛ぶことはな
いやるせなさを、ほんの少しでも揮発させようという願い、祈り。

「自分がこうしたい、こうなりますように」ではなく、他者に向ける願いや祈
りは、ともすると無私のものと思われやすい。だが、災害や事故、戦争など、
遠くの見知らぬ誰かに向けるものにしろ、近しい誰かに向けるものにしろ、そ
こには必ず、自分の思いや自分の事情が載せられるものだ。
自分の境遇との重ね合わせ、共感、仲間意識、傍観者でしかいられないことへ
の焦り、あの日うまく話せなかった後悔、贖罪、償い、心配、期待……etc.

自分のエッセンスを載せた願いや祈りは、現実にはあり得ないような、夢のよ
うな話にこそ、託しやすい。そうあったらいいなと信じたい気持ちと、願い祈
る気持ちが相乗効果で膨らむからだ。
ユーモアも笑いも、それ自体として楽しく面白く、夢のような展開と結果もそ
れ自体として楽しくうれしく、だが同時に、そんな展開だから自然に願いと祈
りをぶつけ信頼できる装置でもある。

あり得ない夢のように、みんな楽しく笑えますように。願いと祈りを託せるリ
アリティをもった映画は、作り手の願いにさらに観た人皆の願いを載せて、大
きな願いのかたまりになる。
おぞましい過去から続いた今と未来が、よい方へ向きますよう、忘れてはいけ
ないことが忘れ去られることのないよう。

人の思いを載せられる映画は、他愛ない笑い話の連続でも、実現不可能なあり
得ない展開でも、人の心のリアリティが、ある。

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編集・発行:あんどうちよ
筆者について http://mille-feuilles.hp.infoseek.co.jp/cinema/about.html
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posted by chiyo at 23:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする